忍者ブログ

i want you more like somebody.

2024.05┃ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
HOME前項現在のページ次項
2024-05-19-Sun 15:03:58 │EDIT
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2013-04-22-Mon 23:46:34 │EDIT
久しぶりに小説を書こうとして、ずいぶんとなまっていたらしいことを知った。
全然書けない。
ほかに色々やることがあってちゃんと時間が取れていないというのも、あるにはあるのですが。


どうにも影響を受けやすい人間で、その文章を書くときに一緒に摂取する音楽や映像に露骨に影響される。
これは何も書くときに限らず、文章を読むときにもBGMをセットでインプットしているような節がある。
この作家にはこのバンド、とある程度決まってしまっている気がする。


摂取、という言葉には耳という文字が二つ入っていて、つまりはそういうことなのかなあと思ったりします。
意識、という言葉には音という文字が二つ入っている、という話が出てきたのは西尾維新の『零崎曲識』だったか。


思考の枠組みが変わってきたのか、それとも環境や状況が変わってきたのか、実力が衰えたのかネタが枯渇したのか。
昨日買ったヘッドホンアンプで音楽でも弾きながらのんびり考えたいと思います。

拍手[0回]

PR
2013-04-21-Sun 23:50:32 │EDIT
気が付くと懐古している。
今の新入生が昔の自分にダブり、そのフィードバックで今の自分を昔の先輩に重ねて見ている気がする。


上級生の方が自分にしてくれたように自分が下級生にするという難しい意識。
そのままその通りにすることはできないし、それでは不正確的であると思う。
自分はいつでもただ気の赴くままに力の及ぶ限りにできることをしているだけであって、そこに何か配慮が入る余地などは果たしてあるのだろうかなあと思う。


先輩ぶるつもりは毛頭無いのですが自分の一挙手一投足が捕えられる危険を秘めている気はしている。
自分の中に残っている上級生の方々のイメージを、これからやってくるところの後輩たちに見せることはできるだろうかと思う。
それはできれば、自分にまとわせてではなく、自分を通過して遠くを眺めるような形で。


とりあえず主体が年長者側にあるようではいけないのだと思います(体育会系な体制に喧嘩を売るわけではありませんが)。
しかしあまり好き勝手にやらせるわけにもいかない厄介なところ。
それでも、上級生が構ってちゃんに堕することだけは避けるべきだと思う。

拍手[1回]

2013-04-20-Sat 23:59:24 │EDIT
 


なんとなんとの3周年です。


気付けばレビュー記事なぞ消え失せほとんど愚痴と備忘録ばかりとなった残骸のような惰性のブログですが、どうやらこんな駄文でも読んでくださる方のいらっしゃい得るということで、今後も適度にがんばっていきたいなと思います。
適温でお見守りいただけますと幸いです。



※画像と本文は全く関係ありません

拍手[0回]

2013-04-19-Fri 23:55:32 │EDIT
封じ手のようなことを書いておくのにこういった半公共の場所を利用しておくことはどうなのかとは思いますがおそらく見ている人が少ないと思われるのを良いことに今のうちに宣言しておきたい。
今年度末のいかなる所属集団における卒業を名目とした行事にも参加したくない。
現段階では本当にこの意志が募ってしまって仕方がない。
理由としてもちろんその時点で自分がまともに社会人/研究者への道を踏み出せているとは到底思えないという建前がありますがどうにも気が進まないといえばそれまで。
単純にそういう同期間の催しが苦手なだけでもある。


どこかでこっそりと、しかし明確に記しておきたかったので、一応、それだけ。
チラ裏乙という話ですが公開状態にしておきたかった。

拍手[0回]

2013-04-18-Thu 23:59:12 │EDIT
本を読んでいて、おそらくは著者の全く意図していないところでの言い回しや言葉遣いが気に入ってしまうということが多い。
作品を通して言いたいことよりも、その補助として用意した比喩や格言めいた文章にばかり意識が向かってしまい、本題を外してしまう。

命令というものには服従しない可能性が含まれているはずであり、拒否され得ないようなそれとは命令ではなく法則である、というような言い回しがカントにあり、どうにもよかったなあと思う一方、それでカント思想としては何が言いたいのかということの理解にはおそらく繋がらない。
確かキノの旅だったと思うのですが、本を読んでいる途中で別の船に乗って流れ出すように思考が反れる、というような表現をしているところがあり、まさにそのような事態はそうした瑣末な部分にほとんどフェティッシュな好感を持つことによって発生するのではないかというように思えます。

一見すると読み込みの深さからそうした細かな部分に気付くという構図であるかのように結果論的には見えるものの、実のところ本来得られるべき理解にはまるで届いていない。
この傾向は今に始まったことではなく、昔からどうでもいい部分にばかり目が行ってしまうものであって、小学校1年の時に書いた作文の時点ですでにそんなことがあったような気がすると記憶しています。

もちろん何が作者の真に述べたいことであるのかは確定するとは限らないし、そうした細かな一節にも気遣いがなされていたのかもしれないし、作者からしてそんな言い回しを好んでいたのかもしれないし、文章の読み方なんて勝手にすればよいという話でもあるわけですが、まあ本質的ではないのだろうなと思う。
読書術というものがあるなら何かそういうところを直したいとも思う一方で、こうしたものを感性と呼んだりするのかもと都合よく解釈したりする。
地力が欲しいな、と思う。

拍手[0回]

カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
赤鯖
年齢:
32
性別:
非公開
誕生日:
1991/10/06
職業:
大学生
自己紹介:
自分のためでない、他人のためのコミュニケーションを心掛けたら、孤立した。
最新CM
[07/12 NONAME]
[02/02 柊月]
[09/25 蒼幻]
[09/25 加代]
[08/22 柊月]
フリーエリア
カウンター
Powered by 忍.jp Design by Alphaあるふぁ
Copyright © 2006 人並にユーモアが欲しい。 Some Rights Reserved.
http://hit73humor.indiesj.com/Page/9/
忍者ブログ[PR]