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2024-05-07-Tue 05:23:36 │EDIT
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死にたくなるような昨日なら君のせいだけじゃないだろう

2015-08-29-Sat 04:57:51 │EDIT
アクティブな形式というか目に見えて明らかな枠組みを伴っていわゆる「いじめ」を受けた経験は実は今まであまり無い(と自分では思っている)ので、実はそういう理由でもって死にたいという感情を持つ人に100%の共感ができるかどうかは少々怪しかったりする。
というのも、自分の場合「1:「いじめ」とまではいかないがそれなりに下等に見られる扱いをされた」経験と「2:露骨に「いじめ」の渦中にある友人と仲良く接していた」経験が人生の中の多大な割合を占めているため、てっきり自分もそういう目に遭ってきたのだと混同してしまいそうになることがあるためである。
一方で、何か嫌な思いをして死にたくなるような子供時代、というものには非常に覚えがある(というか現在まで継続している)ので、そういう向きに対してはどうにも他人事と思えないような気分になってしまう。



死というものを行動の選択肢の中に入れるようになると視野が狭まる場合と広まる場合と両方ともあって、自分は比較的後者のケースが多かったからここまで助かっているのかもしれないと思う。
しかし、何か行動をするにあたって熟考能力を過度に期待できない年少者に対して、同じ状況をあてはめた場合、もし前者に囚われてしまったら案外と安易にそちらへなだれ込んで行ってしまうものなのではないかという気もする。
もちろん教育心理学的な分野に全く携わっていない素人の経験則なので何の根拠も無い話ではあるが。



小5の頃から内心で死にたい死にたいと連呼してきた結果として妙に思い切りが良くなった気はする。普段は優柔不断なクセに時々決断がやたら速いと言われる。今年の夏に帰省した期間にも、母親に「外食とかでも何食べるか決めるの速いよね」と指摘を受けて少々面食らった。しかし確かにそうなのかもしれないと多少は納得している。
本当に「その時」が来ても迷わないようにするため、の、練習のようにも思える。
だから、どうせ死にたいのであればその前に少々の無茶をやってみるべきなのだろう、というのが持論めいたものになりつつある。ハイデッガーのいうところの先駆的覚悟、というほどシャレたものでは到底ありえない、要するにこれは単なる貧乏性の延長のようなもの。



死にたいと一度でも思ってしまったらその時点で死を行動の選択肢に含んでしまっていて、それはもう既に取り返しが付かない。それ以降にどのような癒しやケアがあろうとも、もはや死から目を逸らすことはできない。だから「死にたいと思う子供」をそのままの意味で理想的に救済することは理屈として不可能であると個人的には考えている。
もちろん、死に対して直面する、なんてことは、遅かれ早かれ、という話ではあるのだけれども、程度の差というか、「いずれ来るもの」として死を漠然と思い描くのと、「行動の目的」として主体的に死を視野に入れるのとでは、カラーが全く違う。
中学生や高校生、あるいは小学生が「死にたい」という絶望的な懇願を心から口にしてしまったのなら、たとえその原因が根本から取り除かれようともそれは解決とは呼べまい。それは傷であり折れ目であり、不可視だが確かに残るものである。それは肉体に刻まれるのではなく、歴史に刻み込まれる。



つまり何が言いたいかというと、「死にたい」という向きに対して「何だと、この事態を作ったのはどこのどいつだ」と声を荒立てることはだいたい無意味で、そんなことをしている暇があったらその子供を安らかな場所に保護して手当てを行ったほうが億倍マシなのではないか、という話。彼らには、事態そのものが収束する以上に、事態に向き合うだけの精神的な力を養う必要があるのではないかと思う。それは与えて身に付けさせるものではなく、啓蒙によって自分なりの流派を獲得してもらうしかないもので、一つの技術のようなものに見える。それがある意味では、先に期待を放棄した考える能力に該当する。



もちろんベストなのはその考えが「死にたい」に至る前に歯止めをかけることではある。それが一番健全で、問題や波乱の具合が悪い方向に転ぶ可能性が一番低い。先の通り、「死にたい」まで行ったらそのまま終わりまで直結するケースが充分に想定され得るためである。
そうでなくとも私のような性根のねじ曲がった社会不適合な人間不信者になる危険性がある。それだけは確実に避けた方が良い。こればかりは間違い無い。



一定域に達していないのなら、回復に際して難しい処理は必要無い。
子供であればなおさらである。事態の全てが彼の責任であるというケースが稀だろうから。それさえ暴くことができれば。



だからまず成されるべきはそのための「場所」の存在の確保なのだろうと思う。安らかな場所。逃げ込む場所。身内が誰ひとりいない場所が良い。それでいて安全な場所が良い。時間を有意味に使えるのが良い。無意味に使っても許されればなお良い。合法的で、文化的で、非営利的な場所が良い。どうせなら活字に触れて教養でもゲットしておけば良い。
そしてそれが確保されていることが、それを必要としている人物のところに伝わっていることが肝要であることは、もちろん言うまでも無い。






鎌倉市図書館の「件のツイート」を見て思ったことでした。





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