高校時代によく読んでいた本を再読。
SNSについて少し調べていた時に引っ掛かったのが「フリッカー」の存在。
うちの父が「フリッカー」という言葉を聞いた時嫌いと言っていた理由がなんとなくわかりました。
本編1話の長編。
主人公・鏡公彦による妹殺害の報復劇と思われる何か。
とにかく推理小説と銘打つのがやりにくいノベルス。
これは推理ではないよなあと思う。
「大」と書いてある紙を見せて「これ何て書いてある?」と訊いて、「だい」と答えたところで隠していた指をどけて「実は犬でしたー」と言ってしまうような。
盲点を突くというより死角から強襲するというか。
それでも一応最低限の情報公開はちゃんとしていたりする。
文章自体のトリックより、前にどこかで見た「動機の特殊さ」は印象的だったかもしれません。
大量殺人を行っている「突き刺しジャック」が何故そんなに人を殺すのか?
ある意味では非常に珍しい、どこか訴えるところのあるものといえるような。
再読ということで、あらすじやトリック、人物の正体などは覚えていましたが、そうなると逆に細部が気になってしまって仕方なかったでした。
伏線の張り方がなかなかうまい。
これはサスペンスとして読んだほうが読書体験としては良いのではなかろうか。
友人に話を聞く限りでも「佐藤友哉は再読すると面白い」という認識はあるようです。
鏡家サーガなんか顕著でしょうね。
逆に最近の作品はどうなんだろう。再読するほど読んでいないからなあ……
再読で気付いたのですが公彦氏18歳だと……
大学生ということはどうあっても大学1年以上ではない。
大学1年生であれだけの財力と装備を持っていたのか……そう思うとなかなかすごい。
学年としてはタメなのにあの行動力はとても真似できない。ある意味では現実性が無い。まあそこは彼の異常性というかそういうものを極端に表わしているということなのかもしれませんが。
ネタが古いような気がしたのはどうなんでしょう。まあもちろんそんなこと気にしていたらパロディは成り立たないわけですが。
前に読んだ某作家は文庫化にあたっての加筆訂正としてBGMのアーティスト変更という物凄くどうでもいい変更をしていたのでそんなことするよりよほどマシか。
ただパロディや引用が非常に多いのも事実。
文学作家やアーティストの「名前だけ」引用という抽象的なやり方は伝わる人にしか伝わらないのではないかなあというところ。ドヤ顔でやられたら激昂できるレベル。
一般には「ラストで驚かされる」と形容されるであろうものは、一歩間違えれば「ラストでブチ切れさせてくれる」という評価を得ることになる……というのが実感できる作品。
まあ鏡家サーガなんかは特に全部そうですし、それが初期の氏の特色なのだから仕方が無い。
本人もそのリスクは承知しているはず。
語彙の偏りは自分は気になりませんでしたが、人によっては「狂う」「壊れる」の連呼が許せないのだとか。
そもそもその手のアウトローな感情表現は文字に直すのが困難を極めるものですからね。
この作品の妙味はそれさえ振り切ってあくまで一個作品であると言い張るところにあるのですからそのくらい置いていってしまったほうが間違いなく気は楽。
難しい話ではない上改行や会話も多いためさらりと読めてしまうのですが、読後感はなかなか異様。
決して深くはない内容であるのに、瞬間最大風速というよりも平均的に暴風なせいで印象が残りやすい。
ただし登場人物は多い。多い上に似た者同士も多い。キャラをしっかりつかめないと何が何やらとなる可能性は比較的高め。挿絵があるわけでもないですし。
何かと色々と読者を選びますね。
勢いはありますが鈍重で、内容は薄いのに存在感は大きい。
おそらく最も評価されるべくは、これがデビュー作であるということ。
これだけ異端な小説を世に解き放ちながら登場した作家が当時どれほど意外だったかは想像に難くないでしょう。
振り切れ具合、文章技術の甘さ、ストレートすぎる表現など、さまざまな意味での佐藤友哉の原点。