最近思うのは、別に読書が好きな子ではなかったな、ということ。
小学生のころは漫画でサイエンスを解説してくれるようなシリーズしか読まなかった。
市の図書館にはけっこうな頻度で連れて行ってもらったけれど、それで借りていた本は将棋か折り紙か恐竜の本ばかりだった。
それも同じ本ばかり何度も借りていた。
「忍者図巻」を何回読んだかわからない。
大昔の記憶で、家じゅうの本という本をかき集めてその中に埋もれて、ひどく安堵した覚えがある。
だから本を読む行為というより本というモノそれ自体が、本当は好きなのだと思う。
伝記や名作なんてほとんど読まなかったし、中学に入って読書をし始めたのはラノベが原因だったりした。
高校生の本紹介では人が死にまくるミステリを紹介した。
コナン・ドイルもアガサ・クリスティーも読んだことが無いくせにメフィスト賞作家を読みあさってミステリ好きを装っていた。
ヴェルヌに惹かれず円城塔からハマったあたりSFについても相当なにわかであるといえる。
本を読むのは遅いし内容をろくに覚えもしない。
おまけにタイトルやあらすじでかなり食わず嫌いをするから読書の幅も狭い。
勉強としての読書と教養としての読書と趣味としての読書を混同して頭の中が具材の足りない闇鍋になる。
大学に入って新書を買い揃えて、それも8割は未読のまま本棚に列をなしている。
中身を知らないタイトルが私にプレッシャーを与えてくる。
夏目漱石も芥川龍之助もまともに読んだことが無い。
ゲーテもシェイクスピアもまともに読んだことが無い。
自分が好きな作家、自分と波長が合う作家ばかり読んでいるから読書遍歴は偏りまくっている。
文学部の3年生にもなって。
ろくに読書もしないくせになぜ高校・大学と文芸部で居続けられるのだろうと時折不思議に思う。
私に賞をくれた県コンクールの先生方は見る目が無いと思う。
人を買い被り過ぎている。
最近私は買い被られ過ぎていると思う、色々な人に対して。
今年の夏休みはまったく本を読めませんでした。
積読は200冊に迫ろうとしています。
私はそれをこれから時間をかけてゆっくりと読み解いていくほかないのです。
それは本の面白さよりも自分の情けなさが上回る、苦行です。
本の面白さよりも自分の情けなさが上回っているということ自体が心苦しいです。
読書が好きな人、本を早く読める人、集中して物語を追える人、深く内容を理解できる人が羨ましい。
本をたくさん読む人からの無言の軽蔑を感じてしまう自意識過剰。
最近めっきり秋めいてきて、私はそうやってセンチメンタルな感傷に浸ったりして現実逃避ばかりの毎日です。
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