実の父親に「お前の教育を間違えたかもしれない」と言われた時にはどういう対応をするのが正解なのだろうか。
「そうだね、私がこんなにドジでノロマで一般常識に欠けて世間の情勢にも政治経済にも興味を持たないのはあなたの甘ったるくて適当な教えのおかげだと思うよ」
みたいな煽りを入れることもまあ、不可能ではなかったのかもしれないと今にして思う。ただそう言い返したところで喧嘩になるだけだし、あるいは喧嘩よりももっと惨めな自己嫌悪に陥る羽目になるかもしれない、お互いに。最悪殴られたのちにお互い気まずくなるような重複だって起こりうる。良い歳になって今更高校生みたいな態度になるのは端的に自分がみっともない。だいたい2人きりの1対1の状況でそんなことを言われたのだから下手に波風立てるのは自分を不利に追い込むばかりである。
そもそもこの煽りは自分を貶めていくばかりなので言っていて情けない。
そんなことはない、と反論するには自分の才能というか性能が雑魚すぎて不十分かつ不適切だった。と思う。低スペックの心身をなんとかやりくりしてここまで落ち延びてきたことをむしろ評価してほしいとさえ思う。
ただ、実際問題として自分の親の教育そのものに問題があったとは微塵も思っていなかったりするので、そのあたりやっぱり自分のステータスの伸びが悪くてただただすいませんでしたねという話になる。これは素直に拗ねているし、本当に申し訳無い気持ちもある。
私は黙って苦笑するだけで、それがまた、馬鹿にされているのにヘラヘラしている阿呆みたいで、果たして最適解だったとも思えなかった。
きっとこれからの「孝行」とかいうもので負け分を取り返していくのが最良なのだろうけれど、それはまた違う話のような気がする。差し当たり今現在の惨憺たる有様の、それはこれまでの集積なのであって、今現在の瞬間の点的な問題ではなく、4年あるいは6年の尺を持つ線的・量的な問題だから。つまりこういうセリフを言わせた時点ですでに私の負けで、そもそも反論や口答えを行う権利すら無かったのではないかという気もしてくる。
父は皮肉屋なのでどうしてもこういうコスい言い方を選ぶのだろうなと自分の中で納得させた。それは今に始まった話ではないし、もう慣れてしまったからこそこちらも受け入れることができたように思える。いや受け入れてしまうのもどうなのという話だけれども。そこは何くそこの野郎今に見てろと奮起してしかるべきなのかもしれない。そういう思いもあるはある。あるけれど、努力も結果も伴っていないのにそういう話をするのはこれもまた愚かなだけだと経験則で知ってしまっている。
現状何をどうすれば誰がどう納得してくれるのかなんて何一つわからないし、そういうハードルを自己満足という名目に設定することにも色々と違和感を覚えてしまうようになってしまって、物事に向かう姿勢が根本からおかしくなっているようにも思える。
誰のせいでこうなった、と言って、親の教育が悪かった、なんて、そんな筋の通らない失礼かつ無様な言い訳を、罷り通らせてたまるか、とは思う。
そういうわけで今日は人生で初めて自分「1人で」車の運転をしました。思っていたほどではないにしても緊張しましたね。