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変わらないなら 消えなよ

2014-06-28-Sat 01:27:34 │EDIT
時々、どうして自分みたいなゴミが生きているんだろうと疑問に思うことがある。



時々というと語弊があるのかもしれない。この感覚は自分のあらゆる意識の遡り得る根底に横たわっていてそれ以上先に進めないようなある種ひとつの基盤を形成していて、要するにこれは、時折訪れる感覚というよりは、元々ニュートラルに本性的にこのように感じていて、普段は日々の雑多な出来事に覆われて見えなくなっているだけで、カモフラージュが剥がれて隙間が覗くごとにこういった考えに落ち込むことになる、と形容したほうが恐らく正しい。
壁の塗装が剥げるのと壁に落書きをされるのと、見た目に大差無いように思われることがあるようなもので、一般的にあまり良い気がしないという意味において、ハタから見ているぶんには何も変わるところが無いので、まあ自分以外にとってはどうでもいい区別ではある。


自分は本質的に無価値であると長らく感じていて、それは何もニヒリズム的厭世だとかそういうものではなく単にこの最も卑近にして無能かつ無様な人間のことが嫌いで仕方が無いというそれだけのことで、具体的には小5で転校した時に学級に全く馴染めなかったあたりからその兆候があったような気がするがそれはさておき、まあこれが何をやらせても全く人並みにすらこなすことができずろくに笑いもせず人と交流もせず外で遊ぶこともしなければ内で勉強したり本を読んだりするといったようなこともなく、ただ阿呆のようにぼうっと呆けて日々を過ごしていた子供時代、周囲の充実した元気で有能な級友を眺めて幾度となく劣等感に駆られていたことを思い出す。最初は、あるいは現在でもそうなのかもしれないが、僻みだったのだろうと思う、どうしてあいつらばかり成功して自分だけが駄目なのだろうと。それが次第にいつの間に納得のために自分に言い聞かせていた、お前が駄目なのはそりゃあ当然だろうそういう程度の奴なのだからと。
いつの間にと言ったが実は契機は明確に覚えているしそれを過度にブーストさせたエピソードもきちんと記憶しているのだがどうにも情けないというかみっともないしょうもない話なので記述は避ける。広義の中二病に分類される類の内容なのかもしれない。後遺症が酷いが。
結果として高校時代に作った友人の人数がマイナス3人というスコアに落ち着き(中学時代の知人に縁を切られたことのほうが多かった)、勉学やらなんやらおよそ成功というか青春というかプラスに働く内容が残らなかったあたりで明確に自分の無価値を悟った。あるいは何も上手くいく気配がしなかったので最初から諦めていたというほうが正しいのかもしれない。唯一部活でそこそこ結果が残ったので自殺せずに済んだのではと今にして思う。もっとも保健室登校すらせず3年間を通じて遅刻欠席が1日のみという謎の記録も残っているので校舎の窓からダイブしたり手首に刃物を走らせたりといった勇敢な真似ができるほどの度胸があったとも到底思えないが。もちろんその臆病のおかげでここまで生き延びているとも言える。否定はしないしできないし死ねばいいのにと我ながら思う。


要領の悪さであるとか意識の低さであるとかそういった点が明白であるにも関わらず妙な箇所で臆病さや反動的な自尊心を発揮して謎の正義感を見せたりする自分を誰よりも近くで長らく目撃していていい加減辟易しており、すなわち表層的な自我と監督者的な自己批判がほとんど乖離ししかし同居していて、疲れるし、面倒だし、自己弁護する気も起きなければいちいち頑張ろうと発起することもまれである。
ああこんなゴミがどうして一丁前に東京の片隅に部屋を借りて迷惑千万な脛かじりをしているのだろうと、かなりバイアスがかかってはいるがひとまずの客観的視点からして、そのように呆れているし、一方で自分がその程度の人間であることを自覚してもいる節があるから、主観的にも自分に対して期待していないしまた期待されてもいないだろうと諦めている様子が見受けられる。
だから、どうして自分のような低価値で邪魔でしかない生物がおめおめと生存活動を続けていられるのだろう、と、どこか超越的な視点から眺め見るようにして疑問に感じることになる。この視点というやつは普段は引っ込んでいて、日常の中で何かしらの契機を得ていつの間にか出現している。どういったタイミングでこのような視点に入り込むかということも大概把握してきていて、何の些末なポイントが原因でこんな目に遭っているのかという分析はかなり迅速に行えるようになってきた。もちろんだからといってこれを避ける努力などしないので「あーあ、またやっちゃったよ」と勿体無さげに唸っているだけである。


どうして生きているのだろう、という疑問にはいくつか解釈の余地がある。つまりそれは「どうして」の捉え方の違いで、howとwhyの違いだとか表すこともできそうではあるが、あるいは「何のために」という問いに変換されることもしばしばある。これは「何をするために」であるとか「何になるために」であるとかいう言葉にシフトして最終的に使命感的・義務感的目標やあくまでも自らの欲求を離れない程度での将来像を抱くことに結論する。
一方で今回のような私の疑問にはそういった回答や結論はやって来ない。まずもって疑問であるのかどうか怪しい。「どうして生きているの、早く死ねよ」という旨の発言の後半部分が省略されている内容であるに過ぎない気がする。これが「どうして生きているのだろう、早く死にたい」と内面からの声に変わるころには踏み切りに飛び込んでいるのかもわからず、一方でどうせそんな度胸など無いのだからどうせ死にはしないのだからと奇妙に楽観視しているようにも見える。どうせ死にはしないから、死ねばいいのにと暗に仄めかすような内省的疑念を立て、サンドバックを叩くように自らの精神で以てストレス解消的な行為に充てている。他人に危害を加えるような真似に走るより自己完結していたほうがよほど穏便であろうというこれも昔からの癖であるように思える。単に苛立ちをぶつける相手が近くにいないだけであるともいう。
なお、テレビや雑誌では口を揃えてこうした傾向の人物を指し「溜まりに溜まったストレスが爆発すると危険」であると評価する。どうせ大した行為に走るだけの気合なんか無いんだから放っておいても平気ですよこんな奴、と内心毎度自嘲気味にさせられる。


四六時中こういった「どうして」に縛られているわけではないにせよこれを覆すような事態もまず考えられず、結局自分は騙し騙し誤魔化しているだけなのだろうなという結論に至る。
油断すると襲ってくるこれは、自分自身の内より出て自分自身を眺め見る観点からの二層的な呆れであり、生来の気質とこの20数年で培われた人格形成の絶妙なコラボレーションにより描き出される賜物ということで自分の根底に宿っているものと思われる。厄介で仕方が無いが批判されるべき点を随所に曝け出している自分が・お前が悪いのだから致し方無い、と簡単に納得できる・させられる。


今回この文面を書くに至った理由として最近ここに新たに「後ろめたさ」の要素が付け加わってきたように思えているからということが挙がる。
自分のことを過度に卑下しこれを以て自虐するのは、何も自分に・自分の能力や功績に自信が無いからとかそういったことが原因であるのではなく、どこかに後ろめたさがあるからであるように感じられている。自分で自分のことを評価・擁護・正当化することに対する後ろめたさ。担保されていない価値をプレゼンすることへの後ろめたさ。本当はろくでもない屑であるのにも関わらず一般人面をしてここまでやってきていることへの後ろめたさ。罪悪感というほど大それたことはきっとしていないのだろうと思う。しかし、現在の自分の立場と、自分の中身があまりにかけ離れているような気がしてならない。年齢を重ねるごとに漠然と感じていた不安であるし、多くの優秀な人々に出会うごとに感じる劣等感・嫉妬心の裏返しとしての自己非難の延長であるともいえそうである。
まあ、自立していない証拠でしかないのかもしれない。
何様だよ死ね。


私が就職活動をしたくない理由の一つとしてこのようなことが挙げられるのかもしれないなとふと思いました。自分が貢献可能な領域など到底有り得まいとどこかで既に諦めている。働きたくないとか稼ぎたくないとかいうつもりはそこまであるわけでもなく、ただ自分が何の役に立つかなどというアピールを捏造することへの後ろめたさがひたすら堪え難いし、気持ち悪い。
生活のためにそれをカモフラージュすることも覚えなくてはならないのだろうと思う。しかしもうその技術を習得するためには遅すぎるような気もしている。いや、技術自体は手間さえかければいずれ習得できるのだろうとは思う。
自己を擁護しようという意思をなかなか得られないのが取り返しのつかないところなのだろうと漠然と震える。


死にたい、とまではあえて言わないが、生きるに値するだけの人間であるかと問われれば必ずしも即座に肯定はできないし、生きるに値するだけの人間になりたいかと問われてもまた首を縦に振ることができるかなんとも怪しい、自分という人間に対するそんな程度の評価が自分の中心を占めている。少し傾ければ簡単に死にたいという言葉が口を突いて出てくるだろう。劣等感に誘爆させればきっと容易い。実際に今現在そのようにして充分落ち込んでいる。
世間的に言う鬱とかいう状態に比べればずっと理性的な面が残っていて、一方その理性が救いにならないばかりか追い打ちをかけてくるのだから、これはまた何か別種の状態異常なのではとなんとなく思っていたりする。根の性格が悪いだけかもしれないが。



端的に、生きるのが面倒くさい。

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自己紹介:
自分のためでない、他人のためのコミュニケーションを心掛けたら、孤立した。
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