よく「一人で抱え込むタイプ」と言われる。
実際は他人の能力を信用できないだけだし責任の所在が自分にあるほうが立ち回り楽だし自分の考えを他人に伝える気も持っていないからだと思う、正直。
被害者ヅラしてるほうが気持ち良いと思っているフシさえある。まあ虫酸の走る話ではありますが
「相談」という行為をほとんどしたことが無い。
中学高校と自殺したくなるような衝動に襲われる日々を過ごしながら家族にも担任にも一言も訴えを起こしたことは無かったし(そうすることが正しいと思われる理屈も無かった)、保健室登校だとかそういうことをするだけの勇気がむしろ無かった。
悩みだとか不満だとか鬱憤だとかそういうマイナスなものを他人に噴出するのはこちらの一方的な暴力的行為であると感じていたしそんなものに付き合ってもらうほどの縁がある人間もほとんどいなかった。数少ない繋がりのある知人に対してそんな関係を新たに上乗せするのも気乗りしなかったし、自分だけが一人で被害を被っているのであれば事が簡単で良いと思っていた。
まあ自分なんてそんな程度の者なのだろうなと諦める心地は多分にあった。
結局そんなままで今に至る。
報告・連絡・相談の三つのうちで前二つは事務的にこなせるが、相談というものだけはどうしても人間臭くなる。
どうして好き好んで自分の抱える問題点を他人に対してプレゼンテーションしなければならないのだと思ってしまう。
そうすることで確実に打開策が得られるとは思えないし、要するに他人を舐めている/信用していないだけなのですが、そもそもそういう効果を求めてやるものでもないのだろうなと思う。
単に自分の弱さを明け透けにできない変なプライド持ちなだけではあろうし、そうすることで他人から舐められることを恐れているだけなのだろうと思う。
生来の馬鹿にされ体質からすっかり負け犬根性が染み付いてしまっている。
他人はすべからく自分のことを腹の底で軽蔑しているんだろうなと思っている程度には人間不信だし自分にそんな程度の価値なんてあるわけないだろうと言い聞かせて安心を得る程度には捻くれている、この現状に自覚があるのにどうしても不信感は消えない。
結局自分のことを無条件に肯定してくれる虫の良い話を待っているだけなのかもしれない。
さっさと実家に帰って両親の庇護下で家事手伝いでもしてろよっていうか。
尊重されることも嘘くさくなってきて、いっそ見下されることに安堵して、ほらやっぱりね、という結論に安住したがっている。
敗者のシナリオという話もあるが、自分は上手く行ってはならないのだという思い込みは本当にふとした拍子に脳裏をかすめる。
かといって実際に能力やポテンシャルがあるわけでもないのでこんな人間がどこに行くことを許されているのだろうかと思うと将来は暗いし早急に息の根を止めるべきなのではないだろうかと疑わしくもなる。
やっぱり人は分かりあえない。
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