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2024-05-19-Sun 18:05:54 │EDIT
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2013-01-30-Wed 06:14:14 │EDIT
何もしないだけなら置物でもできる。
むしろ代謝をしないだけ置物のほうが悧巧であるようにすら見える。

何もしない生活は死体にも劣る。



何か食べたら割に合わない気がする。




何をすれば生きるに値するのかという問いはナンセンスだと知っているけれど。

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2013-01-28-Mon 18:09:51 │EDIT
最近生きることに消極的になってきた。
死にたいとは思わないけれど特にこれといって生きている必要性も無いのでないの、と。

無気力とか燃え尽きとかそういう言葉で捉えられる症状ではないはずだと思う。
ご飯はおいしいし睡眠は心地良いし音楽や文章を楽しむこともぼちぼちできている。
生活に嫌気が差した感は無い。
お金は無いし部屋は寒いし人間関係も結べていないけれど、まあそういうこともあるだろうな、と思うし、今に始まったことでもないよな、と納得(妥協?)できている。

原因の無い鬱というのは案外奇妙なもので、こっちがむしろ本質なんじゃないかと思う。
冷めた狂気。
なんというか、誤解を恐れずに言えば、確かにこういう精神状態だったら、例えば人を刺したり轢いたりしてもそれが何か?みたいなことを口走りかねないだろうなと思う。
もちろんそんなことはしないわけですが、それを悪いことと思わずにする悪というのが本当に悪なのかどうかという話もありまして。

麻痺しているだけなのだろうなとは思います。
少し一人でいすぎた。
もしくは睡眠不足かもしれない。

自虐という行為にマゾヒズムとサディズムの両方を見出すことができるということに中学のころ気付いてから、私の中にはいつも二つの視点が潜んでいるような気がする。
それらは互いに互いを打ち消し合って何も残さない。
カウンター的なアイデンティティ以外に何か拠り所があったらよかったのにねと思わないでもない。

『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』ラストの先生のセリフ「お前生き残る気あったのか」に対する返答が必ずしもイエスと言い切れない日常でありますがまあ死にたいとかそういう方向にはとりあえず向いていない。
ただ最近は惰性でやりたいことだけやって時間を浪費しているような日々なので、将来的に身内に迷惑をかけることにはなるのかもしれないと覚悟しつつあります。
ニートは養ってくれる家族に罪悪感を感じないのか、という世間一般の憤慨が、何か違って聞こえてくるようになってきた。

ちなみに躁鬱の診断書は貰っていませんが、自覚がある時点で大差無いはずです。
無闇にお医者様の手間と自分のお金を使うまでもない。
そういう病気の証明はある種の甘えにつながりかねないという話をよく考えたこともあった。
精神病の証書は不精の免罪符では決してあり得ない。

恋愛や結婚に対して「必要無い」「面倒」という回答が以前よりも声高になってきた気がする。
例えそれが負け惜しみ的な物言いであろうとも。
けれどその理屈をどうして人生そのものに当てはめられない道理があるだろう?

もし自分が死んだら面倒臭がったりうざがったりもしかしたら悲しむ人がいるかもしれないと生意気にも思っているからとりあえず生きてみたりしています。
世界の誰もに死ねと言われなければ自殺ができない世の中では、まあ、ないとは思うのですが。

思考停止的に目の前の課題を終わらせろというのはわかっていながら、目の前の課題というのがまさに考えることだったりする。
何も考えつかない自分に絶望して鬱に陥るとかそういうわかりやすい話なら楽なのに、何も考えつかない自分に対して絶望すら抱けなくなってしまったから、止まった。

ニヒリズムについて考えるいい機会だと考えることにします。

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2013-01-25-Fri 23:58:48 │EDIT
褒められたいということと慰められたいということが互いに排他的ではないと知る。
まあ人って何でも言えるんだなあと。


すごいでしょうと言ってほしい思いとそれは大変だったねと言ってほしい思いはきっとそんなに違わない。
ただその性格はまるで異なるものであるように思える。


労ってほしいし認めてほしいし評価してほしいし称えてほしい。
そうなればどんな人でも悪い気にはならないだろうなとは思う。


そういうわけでテスト期間中の人間関係があまり好きでない。
きっと就職活動なんかもそんな空気で満たされているのだろうなと思う、だから好きになれない。
私こんなにがんばったんですよ、という上に向かう意識と、こんな私になんてこと言うんですか、という下に向かう意識をよくもまあ同じ腹の中に持てたもんだなと思う。
もちろんそれは自分にも当てはまることだし誰にも当てはまるのだろうけれど、よくもまあそれを恥ずかしげも無く大っぴらに吹聴できるものだなと。


コミュニケーションの技術としてはまあありなのかもしれませんけどね。
なんだか言ってることがニーチェ臭くなってきた。
弱者は没落せよという。
その弱者という決定をするのは自分自身であるのだろうと思う。


まあ私頭悪いのでテストとかできませんけどそればっかりで人生決まるわけでもないですしーとか言って

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2012-12-31-Mon 23:04:31 │EDIT
2012年の総括です!とかそういう言葉がメディアに飛び交う大晦日でございますが、そんなこといったら一分一秒は常にそれまでのすべての時間の総括だし、そもそも自分というものはそうやって規定されていくものなのではないかな、とか思ってしまうわけです。
2012年という区切りにしても西暦というあくまでキリストを起点としたあやふやなただ堆積しただけの年号の臨界にすぎない。
大学3年生の一年度が終わるわけでもなし、冬休みは続行して年明けにはテストやらレポートやらあるわけです。
冬至とかのほうがメモリアルな気がする。



しかしやはりこういった日には特別な気分になってしまうものなのですね。
メリハリというか、特別な日という意識を持つことは楽しい。
おせち料理は「御節料理」なのだなあとか伊達巻き作りながらぼんやり思う。



紅白を見ていると、流行歌の歌詞から社会が見えてくるような気がした。
まあそれについてはまたおいおい妄想するとして。



毎年、FoZZtoneの「Elevator」を聴きながら初日の出に臨んでいます。
「また新しい朝に向かえる」という歌詞は新年という「精神的な」区切りにはもってこいです。
今年もできるとよいな……と思ったら去年は行ってなかったなそういえば……(ぇ



それではみなさまよいおとしをー。

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2012-12-12-Wed 22:28:14 │EDIT
発想はおもしろいんだけどね、とよく言われます。
嬉しいが悔しい。


つまり実力が伴ってないってことですよ! これは悔しい


実力というのはつまり深く広い知識であり長く太い集中であり濃く密な内容である。
いかに着想がよかろうとも浅く狭く短く細く薄くすかすかでは完成形には程遠い。
逆に着想というものはゼロからイチを開拓するために必要なスタート地点のこと。
よって何かクリエイティヴなものにより近しくあることができているらしいことは素直に嬉しい。


知識は溜め込むものだし、集中は培い養うものだし、内容は育て強化するものだと思う。
それが何か、芸術作品や何かしらのプロダクトに直結しないとしても。
つまりイチ一般ピーポーとして生きている人間でさえ実力を身につけることは無駄ではないと思う。
いわゆる教育の基礎理念はそういうところにあるのではないかとあまり真剣ではなしに徒然と妄想する。



センスだけで生きていくのもぼちぼち限界かなと見切りをつけてきたこの頃。
気付くのが遅すぎたくらい。
それに気付かずに少年のまま死ぬのも有意義でないとはいえないのだろうけれど、タイミングを逸した私が「ふてぶてしく生き残って」今更に真面目ぶるのもそれはそれで悪くないかな、という気がしてきた。


老けたなあ。

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1991/10/06
職業:
大学生
自己紹介:
自分のためでない、他人のためのコミュニケーションを心掛けたら、孤立した。
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