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2024-05-19-Sun 21:29:57 │EDIT
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2013-04-19-Fri 23:55:32 │EDIT
封じ手のようなことを書いておくのにこういった半公共の場所を利用しておくことはどうなのかとは思いますがおそらく見ている人が少ないと思われるのを良いことに今のうちに宣言しておきたい。
今年度末のいかなる所属集団における卒業を名目とした行事にも参加したくない。
現段階では本当にこの意志が募ってしまって仕方がない。
理由としてもちろんその時点で自分がまともに社会人/研究者への道を踏み出せているとは到底思えないという建前がありますがどうにも気が進まないといえばそれまで。
単純にそういう同期間の催しが苦手なだけでもある。


どこかでこっそりと、しかし明確に記しておきたかったので、一応、それだけ。
チラ裏乙という話ですが公開状態にしておきたかった。

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2013-04-18-Thu 23:59:12 │EDIT
本を読んでいて、おそらくは著者の全く意図していないところでの言い回しや言葉遣いが気に入ってしまうということが多い。
作品を通して言いたいことよりも、その補助として用意した比喩や格言めいた文章にばかり意識が向かってしまい、本題を外してしまう。

命令というものには服従しない可能性が含まれているはずであり、拒否され得ないようなそれとは命令ではなく法則である、というような言い回しがカントにあり、どうにもよかったなあと思う一方、それでカント思想としては何が言いたいのかということの理解にはおそらく繋がらない。
確かキノの旅だったと思うのですが、本を読んでいる途中で別の船に乗って流れ出すように思考が反れる、というような表現をしているところがあり、まさにそのような事態はそうした瑣末な部分にほとんどフェティッシュな好感を持つことによって発生するのではないかというように思えます。

一見すると読み込みの深さからそうした細かな部分に気付くという構図であるかのように結果論的には見えるものの、実のところ本来得られるべき理解にはまるで届いていない。
この傾向は今に始まったことではなく、昔からどうでもいい部分にばかり目が行ってしまうものであって、小学校1年の時に書いた作文の時点ですでにそんなことがあったような気がすると記憶しています。

もちろん何が作者の真に述べたいことであるのかは確定するとは限らないし、そうした細かな一節にも気遣いがなされていたのかもしれないし、作者からしてそんな言い回しを好んでいたのかもしれないし、文章の読み方なんて勝手にすればよいという話でもあるわけですが、まあ本質的ではないのだろうなと思う。
読書術というものがあるなら何かそういうところを直したいとも思う一方で、こうしたものを感性と呼んだりするのかもと都合よく解釈したりする。
地力が欲しいな、と思う。

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2013-04-16-Tue 23:58:35 │EDIT
演習の参加人数が50人くらいいたのに、授業内容説明後1週間経ったら半分以下程度に減っていた。
まあ笑いましたとも。
GW明けなのかと錯覚しそうになった。

ハードな授業というのとは違う、やることの多い授業というのか、面倒な出席形態というのか。
私は以前から出たくない授業なら出なけりゃいいというスタンスなので別に構いはしないのですが。


授業に出て眠るのはまだよし、落書きもまあまだよし、しかし私語だけはやめろ、という話を昔教授に聞いたことがあります。
自分で自分の非の責任を負いきれないような行為、要は他者への介入はするなという話。
厄介な授業に無理に出てお友達どうしで文句を垂れ流し続けていて、それで得をする人間は一人もいない。
単位は来るかもしれませんけれどね、そうやってもらった単位の中身がどれほど空虚なことか。

一般教養的な授業では特にこの傾向、すなわちろくに話も聞きゃしないのにやってきて出席だけ提出しあとは喋っているというような状態がよく見られる状況にある気がします、私見による偏見ですが。
しかしこうしてみると教室の中という空間はコミュニタリアニズム的な場所なのかもしれない。
そしてその空間に入るか否かはあくまで自由的である。

今年は哲学系の科目に何かステマでも敷かれているのか、やたらに人の多い教室に出くわし、4年次になってまだこんな中にいろというのかと苛立つことしばし。
まあ半分くらいは自業自得。

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2013-04-14-Sun 23:59:30 │EDIT
犬のするマーキングのような行為は人間においてより顕著に見られる場合があるのだろうなと思う。
人間の場合は道具を使うことができまた事物を所有することができるわけであって動物のように排泄や分泌を利用することがないというだけの話。

所有品などの設置によってここは自分のテリトリーであると暗に示す様子は権力構造のようでもある。
例えば特定の職業における制服というものはそういった意味において二重に役割を持っている。
すなわち、企業が制服を「与える」ことで社員を領域内に囲い込み、社員は企業内において一定の場所を「与えられ」それを占める。
最低限この部分は自分のものである、領地侵犯はご免蒙りたい、という言い分が成立する。

この意識は所謂「場所取り」というか、椅子に荷物だけ置いてその席を確保しておくような行為にもつながっていくと思う。
自分のものでない、他人の所有物というだけでそれに触れることは憚られ、なんだこれは邪魔だとどかしてしまうことができなくなってしまう。
それは多くの場合周囲の目による(フーコー的な)相互監視の状況がそうさせるのだろうけれども、おそらく誰の見ていないところでも道徳的にそれを躊躇わせるような判断をする人は少なくないはず。

しかしもちろんこれでは「先にやった奴の勝ち」であり、最初にインドシナ大陸に着いたのであると宣言してしまえばそこにいた原住民たちを排斥することにもなり、誰のものでもない空き地で俺様のコンサートだと言ってしまって支配するような暴力的構造が見え隠れ。
これに対抗する意見ももちろんいくらでも提出できるがそれはそこに設置される意見ないし所有品の質による、要するに自分の布団まで持ち込むようなことをすれば当然斥けられるに決まっているが本や小物、落書きなどそれがそこにある程度のことでは支障が無いようなものでは簡単に看過されてしまう。

見過ごしている以上はそれを受容していることとほとんどイコールであり、彼のマーキングは成功している。
しかしそれが必ずしも認められるとは私には思えない。

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2013-04-10-Wed 23:59:17 │EDIT
最近妙に調子が良くてどういうことなのだろうと思う。
何一つ上手く行っていないのに現実を直視できていないだけである可能性を否定できなくて危険であるのだろうと思う。
けれど何がどういうわけなのやら。


確かに春先鬱々として塞いで折れて倒れていた時期があったはずだった。
最近のこの具合はどういうことだろう。
本を読んでもいないのに。


今はお酒が入っているので自分の文章に信憑性が伴いませんが、いずれこの感覚は処理すべきなのだろうなと思う。

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