時間の流れるスピードの感覚で自分の精神状態を推し量るということを時々する。
不思議なもので、集中している時ほど時間の流れるのが速いケースと、集中している時ほど時間の流れるのが遅いケースと、どちらもある。
そのため、例えば今時間が速く過ぎていく気がするということは己の気分はこのようになっているのだろうな、といったような法則性を導くには目下至っていない。
さしあたり、自分が何か、速いか遅いかはともかくとして通常とは異なる時間感覚に陥っているな、と気付くための指針程度に利用する。だいたいそういうときは決まって内面の状態も善し悪し分かれている。
そこまで判明してしまえば、善しか悪しかを判断するのは他の要因を以て容易い。
特に気になっているのが眠気に対する時間感覚の変化で、極端に眠い時には、時間の流れがやたら速い場合と妙に遅い場合と、どちらもある。
あるはあるが、全体的に前者は「眠気を押して何かをしている場合」、後者は「布団の中で就寝/起床する寸前」によく訪れる傾向があるように、個人的には思えている。
リラックスしている眠気ならば時間をゆったりと捉えるのであるとか、そんな感じの結論めいた話にもできたりするのかもしれない。切羽詰まった眠気の中で作業を行って効率が落ちるのもまた自明なことであるようにも思えるだろうか。
もちろん有限な時間を可能な限り引き延ばして活用するに越したことはないものと考えられる。もったないから。
その理屈で言えば基本的に時間は遅く流れているように感じられるほうがお得ということになる。
もちろん自分自身の動作までつられて一緒にノロくなってしまっていては元も子もないのであって、基本スタンスはあくまでも限られた時間の中を自分なりにそこそこ活発に動いていくことを前提としたものとなる。大方そうやって自分の行動を活性化させようとする時というのは時間の感覚もニュートラルに近付く気がするが。
人と同じ時間で人以上のことができるのであればそれはもちろん相対的に有能めいて見える。私が本を1ページ読む間に同じ本を1冊読み終えてしまうような人物は想定できるだろう。彼はそうして読み終えた本をそっと閉じてから芋虫のように文字を追う私を見遣って鼻で笑う。もちろんここで言うスピードに基づく能力差とは見かけだけの問題なので、例えば私がその彼よりも充実した読書感想文を書くことができるような可能性は否定されないわけだけれども。
そういう速さはキャッチーだからやはり素敵に見えてしまうのだろうと思う。私が・あるいは誰かが、自分のことをそうやって無能呼ばわりしたことは何度かあるようにも思える。そんなことは無いのだと言うことはまあ、できるだろう。しかしせっかく時間を引き延ばして利用せずにボンヤリ呆けているというのは、それは何か一つ機会を見逃してはいまいか。
とかいう感じで、時間の流れが遅い時はなるべくモチベーションを上げていこうとしていたりするのだとか。
少なくとも徹夜明けの1日は物凄い勢いで過ぎていくしネットにばかり入り浸っていく日常は何も残さないまま終わってしまう。
後から振り返って過去の内容の程度を考えるなら、その中身として想起されるところの具体的なもろもろの行動が無いとあまりにも空虚にしか感じられないのだと最近学んだ。
身を以て学んだ。
ちなみに個人的には「聴いている時には長いと思っていたが後で時間を確認したら思っていたよりも短かった曲」はだいたい良い曲だというジンクスがあったりする。
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