高校生時代に漠然と考えていたことを授業で取り扱われると何か不思議な心地になる。
自分の考えが先人に共感してもらえたようで嬉しいし、いやそれを言うならもちろん先人と似た考えに自分もたまたま思い至ったというだけなのですが、しかし一方で自分の考えたことなぞ大昔に別の人間が考えていたのだよと言われているようでもあり。
オリジナリティなんて無理です。
マルブランシュの「叡知的延長」のお話だったのですが、その「感覚で捉えられない/無限の広がり」というものについて高校時代最後に書いた小説で題材にしていました。
もちろん当時は言葉足らずの描写不足の曖昧考察だったので(今でも大概ですが)そのように延長だ照明だ無限界的だ云々とは一言たりとも言ってはいませんでしたが。
きっとどこか直感的にしか捉えられていなかったのだろうと思います。
そしてたぶん今も同じ。
センスだけで哲学をやるのなら詩でも書いていればいいのかもしれない。
しかし先人の知識無しで文学をやろうとするのは傲慢なようでもある。
だからといって哲学史を無視できるかといったらんなことないんですけど。
目を閉じたときに浮かんでくる境界の無い空間。
漫画などでありそうな設定っぽくはありますが。
総じてこういう言葉はあまり真に受けないほうが健全。
○余談
正面に隣接するアパートの住人が入浴ごとに大声で歌っていてこの時間帯つらい。
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