2月16日の深夜1時半ごろ読了。
伊藤計劃には前から興味があったのですが、これまで触れることなく。
円城塔の同期ということでよく並べられる作家さんです。
今はお亡くなりですが……
『ハーモニー』。
文庫で見たのが初めてだったのですが単行本が元々出ていたとのことで。
未来。技術の発達による超普遍的な体調管理システム。
全人類が体調を管理され、病気にならず、『健康に』『幸福に』生きていられる時代のお話。
既にこのあらすじの時点でおぞましいですね。
誰もが一律に管理されて『調和=ハーモニー』を描き出す社会。
と、それに違和感や反抗心を抱く少女たち、少女だった主人公たち。
とにかく『健康』という言葉が恐ろしい。
『健康』とは考えられる最も手前にある『幸せ』であり、可能な限り手に入れられることに文句はないはず。
そうだろう?
そんなふうに訊かれると否定しにくい。
健康管理と独裁的な支配システムとはどこですり替わるのか、どこで交わっているのか。
管理されるということは意志を失うこと、というのは近代からの一種テーマでもありますね。
有名どころで『モダン・タイムス』とか。
あちらが資本主義に疑問を投げかけるのに対しこちらは価値観そのものを揺るがすので、なお問題との距離が近い。
そもそも『健康』とは『身体的健康 / 精神的健康 / 社会的健康』の三つからなるもの。
今作で扱われている健康という概念は、特に『精神的健康』を無視しすぎたものであるように思えます。
個人を個人として扱わない。
作中の『社会的リソース』という言葉がその最たる象徴。
病床にあった氏の胸中が慮られる。
健康とは何か?
もうひとつ、ストーリーとは別に驚嘆させられたのが文章の形式。
小説というのも結局は文字列でしかなく、そこに感情があるわけでもない、そこに何かが直接描かれているわけでもない、文字というそのものに意味はないという問題があるわけです。
それをあくまで受け入れ、客観的なまでに書き表す。
マークアップ言語による表現方法は冷たすぎるほどに冷静な印象を受けます。
もちろんそれは狙ってやっていることなのでしょうが。
過去の人々は、自分が後世にどんな扱いをされるのか一切知りようがない。
現代に生きる私たちも、その私たちがしている生活様式も、未来世界でどう扱われていようと文句は言えない。
未来から過去を見るスタイル(いわゆる『神の視点』)で普段の生活を分析されると、それが失われることへの感慨、恐怖や興味など、何かを思わざるをえないものです。
SFではよくあることですけどね。
そういった、ごく近い範囲で深く暗く何かを考えさせられる小説。
現代の、特に日本の社会の価値観様式に少しでも疑問を持ったことのある方は是非。
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