「人生の価値は○○には無い」ということがナンセンスであるという実践的な考証。
例えば、人生の価値は教養に無いと言う人。
彼が無教養であった場合、それはただの強がりにしか聞こえない。
彼に教養があった場合、それは彼自身のあり方を否定してしまっている。
財産でも容姿でも人脈でも同じである。
というような判定を下すような世界の中にいるような気がしている。
先に言った奴の勝ち、になってしまうのは、何かおかしいんでないかい、と思う。
哲学的な系譜において、弟子が師匠にほとんどたいてい反発・批判してみせる構図は、それほど近しいところにいなければ彼の言を覆しえなかったからなのだろうかと思う。
改めて自分の無能を呪う感。
いっそ考えなしみたいに生きられたら楽なのかもしれないのにと、憂いて、アルジャーノンを思い出したりする。
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