本を読んでいて、おそらくは著者の全く意図していないところでの言い回しや言葉遣いが気に入ってしまうということが多い。
作品を通して言いたいことよりも、その補助として用意した比喩や格言めいた文章にばかり意識が向かってしまい、本題を外してしまう。
命令というものには服従しない可能性が含まれているはずであり、拒否され得ないようなそれとは命令ではなく法則である、というような言い回しがカントにあり、どうにもよかったなあと思う一方、それでカント思想としては何が言いたいのかということの理解にはおそらく繋がらない。
確かキノの旅だったと思うのですが、本を読んでいる途中で別の船に乗って流れ出すように思考が反れる、というような表現をしているところがあり、まさにそのような事態はそうした瑣末な部分にほとんどフェティッシュな好感を持つことによって発生するのではないかというように思えます。
一見すると読み込みの深さからそうした細かな部分に気付くという構図であるかのように結果論的には見えるものの、実のところ本来得られるべき理解にはまるで届いていない。
この傾向は今に始まったことではなく、昔からどうでもいい部分にばかり目が行ってしまうものであって、小学校1年の時に書いた作文の時点ですでにそんなことがあったような気がすると記憶しています。
もちろん何が作者の真に述べたいことであるのかは確定するとは限らないし、そうした細かな一節にも気遣いがなされていたのかもしれないし、作者からしてそんな言い回しを好んでいたのかもしれないし、文章の読み方なんて勝手にすればよいという話でもあるわけですが、まあ本質的ではないのだろうなと思う。
読書術というものがあるなら何かそういうところを直したいとも思う一方で、こうしたものを感性と呼んだりするのかもと都合よく解釈したりする。
地力が欲しいな、と思う。
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