昨日14日の午後、新幹線にて浜松に帰省。
無事実家に辿り着きました。
電車が動かなかったことを知ったのが午前2時。
それ以前に、真夜中の0時45分にアナウンスで『明日は停電します』と。
これはもう帰るしかない、と考え、知人にメールを送りアドバイスを賜り(冷蔵庫の中身とか、手荷物とかの処理云々)、シャワーを浴びて荷造りして午前4時ごろ出発。
こうなったらもう電車には頼らない。
地力で大学まで行ってやろう、という決意をしたわけです。
実は前々から一度、歩いて学校まで行ってみたいな、とは思っていたのです。
それがまさかこのような形で叶うことになろうとは。
ルートを調べてみると存外に距離は短く(前記事にて『40キロ』と思っていましたが、実際は『20キロ弱』でした、いやそれでも充分長いのですが)、かつ大通りを一本歩き通すだけというシンプルなものだったため、最低限の荷物を持って家を出たわけです。
友人にメールで実況をしながら。
その相手も学校に来るはずだったのですが(だから『大学』がゴール)、そちらのほうは電車運休で足止め。
バイクの免許取るのが遅くなったことがこんなことで裏目に出るとはとか云々。
その相手も途中で眠りに就き、ひとり実況記録を携帯に残し続けながら歩くこと4時間半。
ラジオを聴きながら、夜に眠る街から朝の光を浴びつつ、23区入り。
午前9時30分ごろ大学に到着。
部活の部室に入り、携帯とアイポッド(含むラジオ)の充電を開始、ふうと一息ついた瞬間に緊急地震速報。
めっさでかい余震。
前日から話はあった、津波を起こしうる大きな余震……
徹夜で20キロ歩いた体にそりゃあねえよう。
揺れが収まると同時に機器を回収して外へ。
公衆電話で実家に電話、銀行でお金を下ろして最寄り駅できっぷ購入、山手線に揺られて東京駅、そのまま流れで新幹線。
余震が10時ごろ、東京駅に着いたのが11時ごろだったでしょうか。
11時半には東京を脱出。
こんな時に限ってスムーズな動きができる人。
しかし眠気ゆえ浜松を寝過ごし豊橋に行ってしまう。
その後浜松に着くと今度はバスを寝過ごす。
幸いさほど離れてもおらずよく見知った土地ではあったため、ひいこらしながら親にメールし、歩いて帰りますとして徒歩で帰りました。
その帰路で見かけた自然の美しさがなんかもう、なんかもう!
昨夜は11時には眠り、今朝は1時45分まで起きていました。
先輩から泊まりに行ってよいかなというメールが来ていたので、「浜松なう」と返しておきました。
こんな田舎でもお米やカップ麺、ティッシュが売り切れていくという現実。
自分がただごとでないことに巻き込まれているのだなあという実感と、その実感にあくまでも抵抗しようとする日常感。
歴史に潰されそうになる。
―――
○余談
『大きな余震が来る可能性がある』というとき『大きい』のは『余震』なのか『可能性』なのかわからなくて困りました。
あんまり笑えない。
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