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2012-09-27-Thu 23:35:00 │EDIT
批評やレビューというものを書くのがけっこう嫌いではなく、またネット上でどなたかの書かれたそれらを読むのもよくやることなのですが、それでも批評家やコメンテーターというやつはあまり好きじゃなかったりする。
それがどういうことなのかはよくわからなくて、単純に上から評価している様が気に入らないだけなのかもしれない。
自分のことはとりあえず棚に置いておくとして、そういった人物の中には傲慢というか尊大なタイプが一定数いて、それらはその性質がゆえに目立ってしまう。


単純に自分が気持よく書けている間だけ楽しいのかもしれない。
ネタがあるうちだけ文章が書けるような駆け出しのアマ作家に似る。


うまくいかなかったからといって目を背けて逃げるのはエゴだし、一度そちらに進むと決めたのならそう簡単に引き返すものではない。
それとも引き返すこと自体は悪いことではなくて、それも一定の見切りをきちんとつけた末の結論であるならば妥当な話なのだろうと思う。
だからきっと本当にいけないのはあれこれ手を出しそのすべてに中途半端な足跡をつけて大したこともしないまま諦めてはまたそれを正統化するために別のものに手を出すような移り気。


趣味や特技のレベルなら構わないのかもしれない。
けれど人間関係や仕事や学業においてそんなことをやっていたら周りの人は見放してしまうことと思う。
それがつまり信用を失くすということと同義なのだと思う。


明日提出のレポートを今から書きます。
ここからが本当の勝負なんだよ。学生。

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2012-09-25-Tue 21:08:30 │EDIT
最近の私は「ぶってる」気がする。
生活というのはそんなものなのかなという気にもなってきている。


演習のプロトコル発表を一つ終えてようやく先に進んだ感じです。
大したことしてないですが。


哲学講義のレポート、哲学演習のレポート、数学のテスト復習用レポート、映画批評課題。
今週中くらいには片が付けられればと思います。
ニコ動入り浸りだった先週あたりの自分を責めるのはそのあとということで。


突然寒くなったせいか授業にも欠席者がちらほら散見されるようになってきました。
体調管理にはお気をつけのほど。
かくいう私は徹夜で演習の予習をしたせいで頭がぐわんぐわんなっておりますだめじゃん。


今朝アパートの目の前にある保育園で運動会が行われていました。
もうそんな季節でしたか。
その保育園の目の前でおばあさんにその保育園の場所を尋ねられたりしました。おばあさんしっかりして。


あと一週間もしないうちに十月ですか。
昨日後輩と「あと三カ月でクリスマス」的な話をしていました。
学祭やら卒論やらであっという間なのでしょうなあ。
どこかに行きたい。


要するに最近の私は学生ぶってる気がする。

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2012-09-24-Mon 23:53:14 │EDIT
演習で見た映画でした。


ゲイバーのママだった人物「卑弥呼」が作ったゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」。数人のゲイたちがそこで卑弥呼とともに穏やかに暮らしている。
しかし卑弥呼は末期ガンに侵されていた。彼はホームに簡易的に用意された医療機器の中で死期を待っていた。

一方卑弥呼の娘、沙織は、かつて自分と母と仕事を捨ててゲイの道に進んだ父親のことを許せずにいた。母の死後に残された借金を返済するため、彼女は事務仕事に加えてコンビニの夜勤までこなし、風俗嬢のアルバイトまで検討し出す始末だった。
そんな沙織のもとに表れた春彦という男性。彼は「メゾン・ド・ヒミコ」に住まい、卑弥呼を愛する若者だった。
死を前にした卑弥呼と、その娘の沙織、この二人の関係を修復したいと考える春彦は、「高額バイト」という名目で、沙織を手伝いとしてホームに招待する。

沙織は父親が堕ちたゲイの世界を嫌悪し忌避していたが……


というお話。


以下、(ディスカッションの内容も含めた)雑感。


性的マイノリティとしての「ゲイ」の描き方は、単調ながらひとまず工夫されていて、ホームの老人たちはそれぞれ趣向が異なるキャラクタライズを施されている。「ゲイ」という言葉で大雑把にくくってはいるもののその内容には相当な幅があり、そのグラデーションは再現されていたようでした。
わかりにくい方は「オネエ」と「ガチムチ」の違いを想像してもらえればと思います。主に主体の性自認という意味で方向は真逆ですが、男性同性愛という意味では等しい存在です。

わかりやすく露骨だったのは服装、色合い、そういった見た目について。
「やりすぎな」化粧をするゲイはもとより、ホームの住人達は全体的に明るい見た目であり、それと対照的に、主人公である沙織はおとなしい控えめな格好になっている。
どことなくチープな印象を受けはした一方で、それがかえってホームの中での(唯一の女性、という意味で)「異物」にカウントされる沙織をその場に馴染ませていたようにも思える。
派手やか、かわいらしい服装の女性があのような空間にいたら、ゲイたちの存在はいくらか、滑稽にさえ見えてしまうのではないでしょうか。

最終的に行き着くところがよく見渡せなかったという印象でした。
最初は長くとどまることさえ嫌がっていた沙織が最後には住人達と談笑できるまでになっていた、という構図だけを見れば、特異な人々に対して心を開く図、というハートフルストーリーめいた展開を読みとれるのですが、それではゲイという性的嗜好はその特異さだけを利用されたことになってしまう。

ゲイっていうとみんなろくな印象持たないかもしれないけど実はこんなにふつーの人なんですよ! というファンタジー的なメッセージだったのでしょうか。映画ドラえもん的な、異文化交流。
しかし、その異質さが立ち現われるためには、どうしてもそれをマイノリティに追いやる「ノンケ」のマジョリティが描かれなくてはならない。今作ではそれは直接的にはほとんど対面しておらず(数少ない相対シーンもダンスホールというサンクチュアリ的空間で行われていたために説得力が薄い)、ゲイたちの日常はホームにおける「当然」でしかない。
もしもその対立する価値観、「異性愛者」という思考軸の存在をメタ的に視聴者に委ねているとするならば、メゾン・ド・ヒミコのゲイたちはただのコメディアンとそう変わるところがありません。

要するにゲイたちのゲイであることを象徴する要素があまりにも不足している。
男性同性愛でなくても、性自認が女性寄りであるだけだったり、単に女装好き・コスプレ好きなTV=トランス・ヴェスタイトに属する人物だっている。
性交した女性を醜いと語るから、睾丸切除手術をしたから、けばけばしい化粧をするから、言葉遣いやしぐさが女性的だから、女性が着るような服に憧れるから、という、どの理由も、結局は婉曲的でしかなく、真に「ゲイ」=「男性同性愛者」を意味するものではないのです。

ほとんど唯一といえる肉体的シーンは春彦が卑弥呼に迫る箇所のみといえるでしょうか。
それにしてもクローズアップされているのは春彦の「愛を求める」気持ち、孤独な感情でしかない。
春彦がホームのパトロンに連れて行かれ「食われる」のも事後語りでしかなく、物語に描かれてはいない。

それよりも、最初いたずら・冷やかしばかりだった中学生が春彦に一括されるシーン。
もしもあれが「惚れた」契機であるとするならば、正しくゲイというものを描けているのはあれくらいではないか、と思います。
どことなくBL語りの様相を呈してきたな……

男性同士のベッドシーンを映せとはもちろん言いません。どんなAVだ。
しかしそれにしても、「ゲイ」というのがあくまでいち性質のカテゴリでしかなく、あのメンバーをあの場所に引き留めるだけの理由にしかなっていないような気がしたのはもったいないというか、本質的でないというか。

また性的関係の場としてもう一カ所用意されている、沙織の勤務先「細川塗装」。
こちらもこちらであまりにステレオタイプで表面的な異性愛主義的空間でしたが、結局霧消してしまったというか、要するに専務は女癖が悪いんだな、というにとどまってしまったのではないかな、というところ。
ゲイたちとの対立があるわけでもまして和解があるわけでもなく、互いに独立的であり、その両方を行き来する沙織だけにスポットが当てられる。
春彦とも専務とも肉体的接触を持ち、その結果として彼女に起きる葛藤というのは、あくまでも彼女の個人的な問題に過ぎないのではないか、というところ。吐いた暴言や家族の境遇、言葉の応酬を踏まえなかったら、そもそも葛藤は起きたのか? 片方に寄りかかるだけではなかったのか?
卑弥呼という存在が沙織にとってあまりに特殊すぎ、重大すぎ、メッセージを覆い隠さんばかりです。

人の死、命、という巨大なファクターもあるのですが、どうしても目先のジェンダー論に目が行ってしまいました。
老いた老人がゲイであり、若い「普通の」中学生たちが綺麗に対立する位置に置かれたのはわかりやすかったかなという程度であり。

卑弥呼のキャラクターについても、ターバンを被るような不思議な格好からして神めかされているというのか、どうしようもない絶対的位置にいすぎたのではないかというところ。
彼にまつわる具体的なエピソードが無さすぎるというか、あるにはあるにせよすべて伝聞であり、要するに本編では特に何もしていない。
結局あの人は何だったの? というか。


批判的に色々と書き並べましたが、ゲイという要素に関して全体的に論点先取な感じが強かったというだけであり、ストーリーの展開や表現はスムーズに行われていたのではないか、と思いました。
中にはベッドシーンの分割的なカメラワークが気に入らないと仰られる方もいらっしゃいましたが……

主演オダギリジョー・柴崎コウというだけの話題性で見た人は多かったのではないかというところ。
監督や脚本が少しそのミーハーさに惹かれすぎてしまったというか、なんとなく小物っぽくなってしまったのはキャスティングの影響もあるのでないかな、とか……
とはいえ個人的にオダギリジョーの飄々とした風体は、一般におけるゲイというもののイメージを塗り替えるには悪くなかったのではないかな、と思いました。フランクで馴染みやすかった一方、もっと渋い演技でもよかったかな、とも。

あまり関係ないことですが音楽が細野晴臣さんだったのは大きかったと思います。
ええと、音楽が良かったです(小学生並の感想)



映画評論を1200字くらいでまとめよという課題が提出されました。
誰か映画評論の書き方を教えてください……

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2012-09-23-Sun 15:37:04 │EDIT
最近思うのは、別に読書が好きな子ではなかったな、ということ。


小学生のころは漫画でサイエンスを解説してくれるようなシリーズしか読まなかった。
市の図書館にはけっこうな頻度で連れて行ってもらったけれど、それで借りていた本は将棋か折り紙か恐竜の本ばかりだった。
それも同じ本ばかり何度も借りていた。
「忍者図巻」を何回読んだかわからない。


大昔の記憶で、家じゅうの本という本をかき集めてその中に埋もれて、ひどく安堵した覚えがある。
だから本を読む行為というより本というモノそれ自体が、本当は好きなのだと思う。


伝記や名作なんてほとんど読まなかったし、中学に入って読書をし始めたのはラノベが原因だったりした。
高校生の本紹介では人が死にまくるミステリを紹介した。
コナン・ドイルもアガサ・クリスティーも読んだことが無いくせにメフィスト賞作家を読みあさってミステリ好きを装っていた。
ヴェルヌに惹かれず円城塔からハマったあたりSFについても相当なにわかであるといえる。


本を読むのは遅いし内容をろくに覚えもしない。
おまけにタイトルやあらすじでかなり食わず嫌いをするから読書の幅も狭い。
勉強としての読書と教養としての読書と趣味としての読書を混同して頭の中が具材の足りない闇鍋になる。


大学に入って新書を買い揃えて、それも8割は未読のまま本棚に列をなしている。
中身を知らないタイトルが私にプレッシャーを与えてくる。


夏目漱石も芥川龍之助もまともに読んだことが無い。
ゲーテもシェイクスピアもまともに読んだことが無い。
自分が好きな作家、自分と波長が合う作家ばかり読んでいるから読書遍歴は偏りまくっている。
文学部の3年生にもなって。


ろくに読書もしないくせになぜ高校・大学と文芸部で居続けられるのだろうと時折不思議に思う。
私に賞をくれた県コンクールの先生方は見る目が無いと思う。
人を買い被り過ぎている。
最近私は買い被られ過ぎていると思う、色々な人に対して。


今年の夏休みはまったく本を読めませんでした。
積読は200冊に迫ろうとしています。
私はそれをこれから時間をかけてゆっくりと読み解いていくほかないのです。
それは本の面白さよりも自分の情けなさが上回る、苦行です。
本の面白さよりも自分の情けなさが上回っているということ自体が心苦しいです。


読書が好きな人、本を早く読める人、集中して物語を追える人、深く内容を理解できる人が羨ましい。
本をたくさん読む人からの無言の軽蔑を感じてしまう自意識過剰。
最近めっきり秋めいてきて、私はそうやってセンチメンタルな感傷に浸ったりして現実逃避ばかりの毎日です。

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2012-08-01-Wed 07:10:28 │EDIT
一度も更新しないまま7月が終わってしまったのは今日から8月だということを忘れていたからです(挨拶)


オリンピックはラジオで聴いています。気が向いたら。
いつだったか何かの番組で「オリンピックはラジオで聞くと目が疲れませんしよいですよ!」という投稿が紹介されていました。
なるほどと思いました。
まあ私パソコン使いながらなので意味無いんですけれど。


基本的に流行りものも流行語めいた造語も苦手なのですがなんだかんだオリンピックは好きです。
ワールドカップよりよほどいいような気がする。
哲学エッセイストみたいな人が、サッカー日本代表が日本国民のいったい何を代表しているのか、というような批判をしたりしまして、おおよそそれには同意なのですが、それでもゲーム自体の面白味というものは変わらないのだと思う。
そういうわけで五輪にしてもメダルの数とか割とどうでもいいです。
「どうしようもなく圧倒的なギャラリーに晒される舞台で行われる」ゲームが用意されることに価値があるのだと思います。
もちろん試合内容がわかるほどおもしろいのでしょうが。


卓球くらいしかわからないので、かすみんの活躍聴いてにやにやしています。
3決の相手誰だろうー?

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プロフィール
HN:
赤鯖
年齢:
34
性別:
非公開
誕生日:
1991/10/06
職業:
大学生
自己紹介:
自分のためでない、他人のためのコミュニケーションを心掛けたら、孤立した。
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