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  <title type="text">人並にユーモアが欲しい。</title>
  <subtitle type="html">i want you more like somebody.</subtitle>
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  <updated>2010-04-20T19:51:14+09:00</updated>
  <author><name>赤鯖</name></author>
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    <published>2016-03-03T01:31:09+09:00</published> 
    <updated>2016-03-03T01:31:09+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>怠けて見えたかい　そう聞いたら頷くかい</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>実の父親に「お前の教育を間違えたかもしれない」と言われた時にはどういう対応をするのが正解なのだろうか。<br />
<br />
<br />
「そうだね、私がこんなにドジでノロマで一般常識に欠けて世間の情勢にも政治経済にも興味を持たないのはあなたの甘ったるくて適当な教えのおかげだと思うよ」<br />
<br />
<br />
みたいな煽りを入れることもまあ、不可能ではなかったのかもしれないと今にして思う。ただそう言い返したところで喧嘩になるだけだし、あるいは喧嘩よりももっと惨めな自己嫌悪に陥る羽目になるかもしれない、お互いに。最悪殴られたのちにお互い気まずくなるような重複だって起こりうる。良い歳になって今更高校生みたいな態度になるのは端的に自分がみっともない。だいたい２人きりの１対１の状況でそんなことを言われたのだから下手に波風立てるのは自分を不利に追い込むばかりである。<br />
そもそもこの煽りは自分を貶めていくばかりなので言っていて情けない。<br />
<br />
<br />
そんなことはない、と反論するには自分の才能というか性能が雑魚すぎて不十分かつ不適切だった。と思う。低スペックの心身をなんとかやりくりしてここまで落ち延びてきたことをむしろ評価してほしいとさえ思う。<br />
ただ、実際問題として自分の親の教育そのものに問題があったとは微塵も思っていなかったりするので、そのあたりやっぱり自分のステータスの伸びが悪くてただただすいませんでしたねという話になる。これは素直に拗ねているし、本当に申し訳無い気持ちもある。<br />
<br />
<br />
私は黙って苦笑するだけで、それがまた、馬鹿にされているのにヘラヘラしている阿呆みたいで、果たして最適解だったとも思えなかった。<br />
<br />
<br />
きっとこれからの「孝行」とかいうもので負け分を取り返していくのが最良なのだろうけれど、それはまた違う話のような気がする。差し当たり今現在の惨憺たる有様の、それはこれまでの集積なのであって、今現在の瞬間の点的な問題ではなく、４年あるいは６年の尺を持つ線的・量的な問題だから。つまりこういうセリフを言わせた時点ですでに私の負けで、そもそも反論や口答えを行う権利すら無かったのではないかという気もしてくる。<br />
<br />
<br />
父は皮肉屋なのでどうしてもこういうコスい言い方を選ぶのだろうなと自分の中で納得させた。それは今に始まった話ではないし、もう慣れてしまったからこそこちらも受け入れることができたように思える。いや受け入れてしまうのもどうなのという話だけれども。そこは何くそこの野郎今に見てろと奮起してしかるべきなのかもしれない。そういう思いもあるはある。あるけれど、努力も結果も伴っていないのにそういう話をするのはこれもまた愚かなだけだと経験則で知ってしまっている。<br />
現状何をどうすれば誰がどう納得してくれるのかなんて何一つわからないし、そういうハードルを自己満足という名目に設定することにも色々と違和感を覚えてしまうようになってしまって、物事に向かう姿勢が根本からおかしくなっているようにも思える。<br />
誰のせいでこうなった、と言って、親の教育が悪かった、なんて、そんな筋の通らない失礼かつ無様な言い訳を、罷り通らせてたまるか、とは思う。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
そういうわけで今日は人生で初めて自分「１人で」車の運転をしました。思っていたほどではないにしても緊張しましたね。</p>]]> 
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    <author>
            <name>赤鯖</name>
        </author>
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    <published>2015-09-11T00:29:43+09:00</published> 
    <updated>2015-09-11T00:29:43+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>時が経つのを待って歩き直せるほど手ぶらじゃない僕らだ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[このごろ見る夢はどれもこれも小学校から大学に至るまでのあらゆる年代から関係者が無節操に表れて荒唐無稽な世界観の中で私に迫り来るような内容ばかりで、しかも概ね悪い部分が強調されて登場するので、夢のくせに妙に印象強くてその日１日頭に残っていたりするし、単に頭が全く休まっていないどころかむしろフル回転していたのではないかというくらい強烈な頭痛を伴って起床するから非常に寝覚めが悪い。<br />
ディテールを次第に忘れていき、ああ自分は悪夢を見たのだという事実の認識だけが漠然と残る。どんな夢と言われても明確にストーリーを語れない。細かな部分だけ覚えていて、そして、あそこにいたあの人物はあのころにあの場所にいたあの人だったよな、となんとなく思い返してみたりする。新旧入り乱れ、中学の時のクラスメイトが大学の時の部活仲間と語らっていたりする、奇妙な光景を、最初は違和感なく眺めていて、目が覚めてから可笑しくなってしまう。<br />
<br />
<br />
夢の意味や内容を分析するとかとは別として、随分と登場人物が増えたものだなと感心してしまう。もちろんただたくさんの人が現れているなという感想だけが残っていて具体的に誰が出てきたぞと名指しすることなどほとんど叶わない。ただ、そこまでコミュニケーションの輪が広いほうではないと自称している自分にしては、それにしては、夢の中に現れて違和感の無い顔が増えたものだと思う。<br />
既に別れてしまった人ほどよく現れるような気がしていて、それはまあ、きっとそういうものなのだろうなと思う。<br />
<br />
<br />
かつて一緒にいた人物が在りし日のそのままの印象を伴って夢に現れると、懐かしいような感じももちろんあり、しかし同時に大きな違和感を抱えることにもなる。<br />
月並みながら、自分のほうがずいぶんと変わっているのではないかという疑念から来ているのではないかと思う。<br />
夢の中で見る自分の姿はだいたい原形をとどめておらず、ほとんど赤の他人の姿をしていることも多く、それはやっぱり自分で自分の表情を見ることはできないとか、そういう話題なのかなという気がする。私の見る夢は三人称的に俯瞰気味なカメラワークを取ることが多かったりする。<br />
<br />
<br />
以前は時折いわゆる明晰夢のようなものも見る時があって、けれどもそれは朝起きた時にやはり凄まじい頭痛に襲われるので、だんだんと無闇な抵抗をしないようになっていった。<br />
夢の中で起きる出来事をほとんど自明のこととしてその時点では「感覚」していて、後になって目が覚めて、ああやっぱり夢だったか、と納得したりする。<br />
そのうち夢と現実の区別もつかなくなったりするのかしらんと、妄想してみたくもなる。安い三文小説のように、現実よりも夢の中により意義を見出すような破綻した価値観は、こうなると一概に否定できなくなってくる。<br />
<br />
<br />
ただなんとなく、自分がこれまでどれほど多くの人の顔を見てきたかということを、こんな機会に思い知ってみる。<br />
関係の質を問わず、期間の長短を問わず。<br />
もしかしたら失敗をやり直したいというような意識が根本にはあるのかもしれなくて、そういう未練たらたらな人間関係があってもおかしくはないと自分でも理解できていて、その上で、いややっぱりもうこれっきりでしょう、と自嘲気味に笑っている。諦めているというほど前向きではなくて、そもそも興味が無いということなのだろうかと思う。去る者を追えない性格になってしまっている。それで良いのだときっと思っている。<br />
<br />
<br />
だからたまに、普段会うことのない人と不意に出会うことが楽しかったりする。<br />
今日はそういう日でした。]]> 
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    <author>
            <name>赤鯖</name>
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    <published>2015-08-31T23:59:20+09:00</published> 
    <updated>2015-08-31T23:59:20+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>きみの色に染めていた世界をきれいにきれいに塗りつぶしていた</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[過去記事を大量に非公開化しました。<br />
これで精神に安寧が訪れます。<br />
<br />
<br />
自分が過去に書いたブログ記事を見返すと、だいたい何を言っているのかはさすがに自分のことなので概ねわかるが、ただこれじゃあわかりにくいわな、とは思うようになっている。さすがにそのくらいの時間が経っている。<br />
わかりにくいというか、変に勿体付けていることが非常に多い。大したことでもないのに大仰に書いていたりする。そういうのを見返すと、ああ何やってるのお前、という気分になる。<br />
<br />
<br />
というのも、このブログを始めたのが２０１０年春からであって、当時はまだツイッターに手を出していなかったため、些細なことであっても対外的に表出する手段を持ち合せていなかったためにそうなっている。<br />
だから金欠だとかテストだとかレポートだとか、そういった本当に日常的な些細な内容で１記事消費していたりする。<br />
もちろんそれが悪いこととは思わないし、ウェブログという意味で言うならどんな記録をしようが定義から外れるものではないのだろうとも思う。ただ圧倒的に内容に欠ける、つまらないだけのことである。文章量も非常に少ない。情けないほど語彙が無い。今現在それで多少マシになったのかというとこれも甚だ怪しい。<br />
<br />
<br />
今更になってこんなことを言うのも変な話ながら、実はブログを持つのはこのページが３つ目で、高校時代に別ジャンルの内容を書くためのブログをもう２つほど書いていた。<br />
そう思うと意外とこの媒体との付き合いは長い。嫌でも見えてくるものはある。勝手がわかってくるというか。わかった上で適当にやっているのだからどうということはない。<br />
<br />
<br />
そもそも自分の日常を書き記してインターネット上に公開するということが何になるというのか、と、時々自分でも確かに疑問に思う。自分でもそう思うし、それ以上に、私の周囲にはそういう行為に対して懐疑的な態度をとる人物がやたらと多い。その中にあって私などまだアクティブなほうだと思う。<br />
想像しやすい言葉は「自己顕示欲」だが、自分が他人に見てもらうに値するような行動をとった上でそれを文章に残しているとは到底思っていないし、どうしても他人に見てもらいたい読んでもらいたいと思うのであればもっと様々にアプローチを工夫できるのだろうとも思う。おそらくこの要素は動機として最適ではない。<br />
それに比べれば、まだ、今回のように、自分で自分の過去の文章やエピソードを見返して、当時と現在との距離感を把握するために用いる、という狙いのほうが、自分には適当であるようにも思える。<br />
解釈学的な自己という話。<br />
<br />
<br />
半年ほど前に、アナログで日記を書き始めた、というエントリーを書いていたが、あちらでは日記の効能や性質について適当な雑感を書いたのに対し、今回はブログでものを書く、ということについて考えている。<br />
いずれは話題になることがあらかじめ決まっていたかのような感覚すらある。<br />
<br />
<br />
この手のことを考えると、他に、インターネットという非常に広範囲に公開されるという側面から、自分のどのような部分を切り出して表出するのかだとか、あるいはどのような人物に読んでもらうことを想定するかだとか、いくらでも考察の余地が得られそうではあるものの、どうせ過去の自分はそんな大仰なことは何一つ考えずにただ闇雲にページを埋めようとしていただけであると思しいので、今更になって行動原理について考えることは大した意味も無いのだろうとは思う。どうせ大した意味も無く始めたブログなのだから。<br />
文章制作という行為についてその程度の低い意識でもって接することができるというのはある意味大事なことなのかもしれないとは思う。書けば書いただけ、書かなければ書かなかっただけ、それ相応の跳ね返りがやってくる分野であるような気がしている。別に文章が上手くなったと自負しているつもりは毛頭無いが、ただ、他人に見られる場に文章を晒すのだ、ということを踏まえれば、これを何年も続けることにそれなりの成果を期待したくもなる。<br />
概ね願望である。<br />
<br />
<br />
ただ、時々、「自分と全く関係の無い人のブログを読んで、自分と全く関係の無い人の生活の様子を漠然と眺めているだけで割と楽しい」という意見を耳にすることはあるもので、確かにそういう楽しみはあるのだろうなあという気は少ししていたりする。<br />
自分と全く離れた場所でも営みは行われているのであり、それは少し安心するし、自分と全く関係が無い人物でもエピソードの中にあって色々なことを様々に感じているのだと思うと、それも何か面白く思われる。<br />
ような気がする。<br />
<br />
<br />
という、自己正当化でした。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>赤鯖</name>
        </author>
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    <id>hit73humor.indiesj.com://entry/285</id>
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    <published>2015-08-29T04:57:51+09:00</published> 
    <updated>2015-08-29T04:57:51+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>死にたくなるような昨日なら君のせいだけじゃないだろう</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[アクティブな形式というか目に見えて明らかな枠組みを伴っていわゆる「いじめ」を受けた経験は実は今まであまり無い（と自分では思っている）ので、実はそういう理由でもって死にたいという感情を持つ人に１００％の共感ができるかどうかは少々怪しかったりする。<br />
というのも、自分の場合「１：「いじめ」とまではいかないがそれなりに下等に見られる扱いをされた」経験と「２：露骨に「いじめ」の渦中にある友人と仲良く接していた」経験が人生の中の多大な割合を占めているため、てっきり自分もそういう目に遭ってきたのだと混同してしまいそうになることがあるためである。<br />
一方で、何か嫌な思いをして死にたくなるような子供時代、というものには非常に覚えがある（というか現在まで継続している）ので、そういう向きに対してはどうにも他人事と思えないような気分になってしまう。<br />
<br />
<br />
<br />
死というものを行動の選択肢の中に入れるようになると視野が狭まる場合と広まる場合と両方ともあって、自分は比較的後者のケースが多かったからここまで助かっているのかもしれないと思う。<br />
しかし、何か行動をするにあたって熟考能力を過度に期待できない年少者に対して、同じ状況をあてはめた場合、もし前者に囚われてしまったら案外と安易にそちらへなだれ込んで行ってしまうものなのではないかという気もする。<br />
もちろん教育心理学的な分野に全く携わっていない素人の経験則なので何の根拠も無い話ではあるが。<br />
<br />
<br />
<br />
小５の頃から内心で死にたい死にたいと連呼してきた結果として妙に思い切りが良くなった気はする。普段は優柔不断なクセに時々決断がやたら速いと言われる。今年の夏に帰省した期間にも、母親に「外食とかでも何食べるか決めるの速いよね」と指摘を受けて少々面食らった。しかし確かにそうなのかもしれないと多少は納得している。<br />
本当に「その時」が来ても迷わないようにするため、の、練習のようにも思える。<br />
だから、どうせ死にたいのであればその前に少々の無茶をやってみるべきなのだろう、というのが持論めいたものになりつつある。ハイデッガーのいうところの先駆的覚悟、というほどシャレたものでは到底ありえない、要するにこれは単なる貧乏性の延長のようなもの。<br />
<br />
<br />
<br />
死にたいと一度でも思ってしまったらその時点で死を行動の選択肢に含んでしまっていて、それはもう既に取り返しが付かない。それ以降にどのような癒しやケアがあろうとも、もはや死から目を逸らすことはできない。だから「死にたいと思う子供」をそのままの意味で理想的に救済することは理屈として不可能であると個人的には考えている。<br />
もちろん、死に対して直面する、なんてことは、遅かれ早かれ、という話ではあるのだけれども、程度の差というか、「いずれ来るもの」として死を漠然と思い描くのと、「行動の目的」として主体的に死を視野に入れるのとでは、カラーが全く違う。<br />
中学生や高校生、あるいは小学生が「死にたい」という絶望的な懇願を心から口にしてしまったのなら、たとえその原因が根本から取り除かれようともそれは解決とは呼べまい。それは傷であり折れ目であり、不可視だが確かに残るものである。それは肉体に刻まれるのではなく、歴史に刻み込まれる。<br />
<br />
<br />
<br />
つまり何が言いたいかというと、「死にたい」という向きに対して「何だと、この事態を作ったのはどこのどいつだ」と声を荒立てることはだいたい無意味で、そんなことをしている暇があったらその子供を安らかな場所に保護して手当てを行ったほうが億倍マシなのではないか、という話。彼らには、事態そのものが収束する以上に、事態に向き合うだけの精神的な力を養う必要があるのではないかと思う。それは与えて身に付けさせるものではなく、啓蒙によって自分なりの流派を獲得してもらうしかないもので、一つの技術のようなものに見える。それがある意味では、先に期待を放棄した考える能力に該当する。<br />
<br />
<br />
<br />
もちろんベストなのはその考えが「死にたい」に至る前に歯止めをかけることではある。それが一番健全で、問題や波乱の具合が悪い方向に転ぶ可能性が一番低い。先の通り、「死にたい」まで行ったらそのまま終わりまで直結するケースが充分に想定され得るためである。<br />
そうでなくとも私のような性根のねじ曲がった社会不適合な人間不信者になる危険性がある。それだけは確実に避けた方が良い。こればかりは間違い無い。<br />
<br />
<br />
<br />
一定域に達していないのなら、回復に際して難しい処理は必要無い。<br />
子供であればなおさらである。事態の全てが彼の責任であるというケースが稀だろうから。それさえ暴くことができれば。<br />
<br />
<br />
<br />
だからまず成されるべきはそのための「場所」の存在の確保なのだろうと思う。安らかな場所。逃げ込む場所。身内が誰ひとりいない場所が良い。それでいて安全な場所が良い。時間を有意味に使えるのが良い。無意味に使っても許されればなお良い。合法的で、文化的で、非営利的な場所が良い。どうせなら活字に触れて教養でもゲットしておけば良い。<br />
そしてそれが確保されていることが、それを必要としている人物のところに伝わっていることが肝要であることは、もちろん言うまでも無い。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
鎌倉市図書館の「<a title="" href="https://twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040" target="_blank">件のツイート</a>」を見て思ったことでした。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
追記するかも]]> 
    </content>
    <author>
            <name>赤鯖</name>
        </author>
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    <published>2015-07-08T04:23:05+09:00</published> 
    <updated>2015-07-08T04:23:05+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>僕になりすましている自分をゼロというナイフで切り裂きたい</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[履歴書を取り出し自分のステイタスを&rdquo;客観的に&rdquo;&rdquo;悪くない感じに&rdquo;&rdquo;素敵に&rdquo;&rdquo;形式的に&rdquo;書いて空欄を埋める。<br />
そこにはいい歳こいた人間がそこそこの格好とそこそこの表情で撮った写真が張られている。<br />
これまで過ごしてきた学生としての時間を学歴だの資格だのといった結果だけに還元して味気無い文字で記述する。<br />
３月初頭から飛び飛びながらボールペンで日記を書き続けてきたおかげか、アナログな筆記でもだいぶマシな文字が書けるようになってきた気がする。<br />
<br />
<br />
それで、不意に冷めた視線になって、結局、ここに書いてある輩は一体何者なのだろうかとふと思う。<br />
自分は自分の事実を自分で自分に明らかなように書いていて、だからそこに嘘は無い。<br />
けれども自分で書いた自分に関する言葉が自分のことではないような乖離感覚がある。<br />
<br />
<br />
要はそれは「ハタから見た自分の姿」で、多少なり誤差というか言葉の綾こそはあれ、おおよそ間違いようのない確定的な部分だけが書かれているのであって、自分で自分の姿を正確に直接的に観測することはできないのだから自分のことなんて最初から曖昧で、それを差し当たり誤りの無いであろう事実だけの抽出で輪郭付けようとしているからどこかちぐはぐな感じになっているというか。<br />
ずっと昔からある感覚ではあるけれども、改めて思う。自分の皮を被った自分。自分の本体はどちらだ。ずっと昔から鏡に向かうのが苦手でならなかった。そこにいるのは誰だ。自分というのは誰だ。お前のことだ。お前のことを言っている。お前は誰だ。何者だ。<br />
端的に気持ちが悪い。<br />
<br />
<br />
履歴書１枚、こんなもので何が分かるものかと、思っているし、思っているであろう相手と話ができたら良いのにと思っている。<br />
話をして、自分の弱さを全て暴いた上でそのダメさ加減をさえ許容してくれるなんていう都合の良い話があったら生きるのが楽になるのにと思っている。<br />
根本動機は怠惰だと思う。だからこれはごく都合の良い話。都合の良い話はどこかで帳尻合わせが要るから結局どこかで面倒になることを知っている。私が履歴書をそこそこ丁寧に書くのはそういう意味でちょっとした皮肉めいて見えた。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>赤鯖</name>
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    <published>2015-05-18T22:52:42+09:00</published> 
    <updated>2015-05-18T22:52:42+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>時間を止めてでも時間稼ぎが出来るから</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[時間の流れるスピードの感覚で自分の精神状態を推し量るということを時々する。<br />
<br />
<br />
不思議なもので、集中している時ほど時間の流れるのが速いケースと、集中している時ほど時間の流れるのが遅いケースと、どちらもある。<br />
そのため、例えば今時間が速く過ぎていく気がするということは己の気分はこのようになっているのだろうな、といったような法則性を導くには目下至っていない。<br />
さしあたり、自分が何か、速いか遅いかはともかくとして通常とは異なる時間感覚に陥っているな、と気付くための指針程度に利用する。だいたいそういうときは決まって内面の状態も善し悪し分かれている。<br />
そこまで判明してしまえば、善しか悪しかを判断するのは他の要因を以て容易い。<br />
<br />
<br />
特に気になっているのが眠気に対する時間感覚の変化で、極端に眠い時には、時間の流れがやたら速い場合と妙に遅い場合と、どちらもある。<br />
あるはあるが、全体的に前者は「眠気を押して何かをしている場合」、後者は「布団の中で就寝／起床する寸前」によく訪れる傾向があるように、個人的には思えている。<br />
リラックスしている眠気ならば時間をゆったりと捉えるのであるとか、そんな感じの結論めいた話にもできたりするのかもしれない。切羽詰まった眠気の中で作業を行って効率が落ちるのもまた自明なことであるようにも思えるだろうか。<br />
<br />
<br />
もちろん有限な時間を可能な限り引き延ばして活用するに越したことはないものと考えられる。もったないから。<br />
その理屈で言えば基本的に時間は遅く流れているように感じられるほうがお得ということになる。<br />
もちろん自分自身の動作までつられて一緒にノロくなってしまっていては元も子もないのであって、基本スタンスはあくまでも限られた時間の中を自分なりにそこそこ活発に動いていくことを前提としたものとなる。大方そうやって自分の行動を活性化させようとする時というのは時間の感覚もニュートラルに近付く気がするが。<br />
<br />
<br />
人と同じ時間で人以上のことができるのであればそれはもちろん相対的に有能めいて見える。私が本を１ページ読む間に同じ本を１冊読み終えてしまうような人物は想定できるだろう。彼はそうして読み終えた本をそっと閉じてから芋虫のように文字を追う私を見遣って鼻で笑う。もちろんここで言うスピードに基づく能力差とは見かけだけの問題なので、例えば私がその彼よりも充実した読書感想文を書くことができるような可能性は否定されないわけだけれども。<br />
そういう速さはキャッチーだからやはり素敵に見えてしまうのだろうと思う。私が・あるいは誰かが、自分のことをそうやって無能呼ばわりしたことは何度かあるようにも思える。そんなことは無いのだと言うことはまあ、できるだろう。しかしせっかく時間を引き延ばして利用せずにボンヤリ呆けているというのは、それは何か一つ機会を見逃してはいまいか。<br />
<br />
<br />
とかいう感じで、時間の流れが遅い時はなるべくモチベーションを上げていこうとしていたりするのだとか。<br />
少なくとも徹夜明けの１日は物凄い勢いで過ぎていくしネットにばかり入り浸っていく日常は何も残さないまま終わってしまう。<br />
後から振り返って過去の内容の程度を考えるなら、その中身として想起されるところの具体的なもろもろの行動が無いとあまりにも空虚にしか感じられないのだと最近学んだ。<br />
身を以て学んだ。<br />
<br />
<br />
<br />
ちなみに個人的には「聴いている時には長いと思っていたが後で時間を確認したら思っていたよりも短かった曲」はだいたい良い曲だというジンクスがあったりする。]]> 
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    <author>
            <name>赤鯖</name>
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    <published>2015-03-17T23:21:27+09:00</published> 
    <updated>2015-03-17T23:21:27+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>いつかさよなら　僕は夜に帰るわ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[よく「一人で抱え込むタイプ」と言われる。<br />
実際は他人の能力を信用できないだけだし責任の所在が自分にあるほうが立ち回り楽だし自分の考えを他人に伝える気も持っていないからだと思う、正直。<br />
被害者ヅラしてるほうが気持ち良いと思っているフシさえある。まあ虫酸の走る話ではありますが<br />
<br />
<br />
「相談」という行為をほとんどしたことが無い。<br />
中学高校と自殺したくなるような衝動に襲われる日々を過ごしながら家族にも担任にも一言も訴えを起こしたことは無かったし（そうすることが正しいと思われる理屈も無かった）、保健室登校だとかそういうことをするだけの勇気がむしろ無かった。<br />
悩みだとか不満だとか鬱憤だとかそういうマイナスなものを他人に噴出するのはこちらの一方的な暴力的行為であると感じていたしそんなものに付き合ってもらうほどの縁がある人間もほとんどいなかった。数少ない繋がりのある知人に対してそんな関係を新たに上乗せするのも気乗りしなかったし、自分だけが一人で被害を被っているのであれば事が簡単で良いと思っていた。<br />
まあ自分なんてそんな程度の者なのだろうなと諦める心地は多分にあった。<br />
結局そんなままで今に至る。<br />
<br />
<br />
報告・連絡・相談の三つのうちで前二つは事務的にこなせるが、相談というものだけはどうしても人間臭くなる。<br />
どうして好き好んで自分の抱える問題点を他人に対してプレゼンテーションしなければならないのだと思ってしまう。<br />
そうすることで確実に打開策が得られるとは思えないし、要するに他人を舐めている／信用していないだけなのですが、そもそもそういう効果を求めてやるものでもないのだろうなと思う。<br />
単に自分の弱さを明け透けにできない変なプライド持ちなだけではあろうし、そうすることで他人から舐められることを恐れているだけなのだろうと思う。<br />
生来の馬鹿にされ体質からすっかり負け犬根性が染み付いてしまっている。<br />
<br />
<br />
他人はすべからく自分のことを腹の底で軽蔑しているんだろうなと思っている程度には人間不信だし自分にそんな程度の価値なんてあるわけないだろうと言い聞かせて安心を得る程度には捻くれている、この現状に自覚があるのにどうしても不信感は消えない。<br />
結局自分のことを無条件に肯定してくれる虫の良い話を待っているだけなのかもしれない。<br />
さっさと実家に帰って両親の庇護下で家事手伝いでもしてろよっていうか。<br />
<br />
<br />
尊重されることも嘘くさくなってきて、いっそ見下されることに安堵して、ほらやっぱりね、という結論に安住したがっている。<br />
敗者のシナリオという話もあるが、自分は上手く行ってはならないのだという思い込みは本当にふとした拍子に脳裏をかすめる。<br />
かといって実際に能力やポテンシャルがあるわけでもないのでこんな人間がどこに行くことを許されているのだろうかと思うと将来は暗いし早急に息の根を止めるべきなのではないだろうかと疑わしくもなる。<br />
<br />
<br />
やっぱり人は分かりあえない。]]> 
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    <author>
            <name>赤鯖</name>
        </author>
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    <id>hit73humor.indiesj.com://entry/280</id>
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    <published>2015-03-07T02:36:39+09:00</published> 
    <updated>2015-03-07T02:36:39+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>最近あなたの暮らしはどう</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>最近日記を付け始めた。<br />
ブログとは別に、アナログに、ルーズリーフに概ね１枚ずつ。<br />
３月１日から開始してなんとか３日坊主は免れている。もっとも自分の傾向としては「３週間」で飽きることが非常に多いので油断ならない。<br />
<br />
<br />
日記を付け始めたのには理由が幾つかあり、例えば寝る前にはＰＣの画面を見ない、ＰＣを閉じて３０分ほど経ってから眠るほうがよい、というような言説が挙げられる。<br />
実際眠りのほどは多少良くなった気がしないでもない。<br />
最近はよく夢を見る。マイナスなイメージを示唆するものであることは門外漢の自分にも察せられるので中身は明かさないけれども。<br />
<br />
<br />
自分の興味・関心が日記というものに向かっているにも関わらず自分で自分の日記をつけていないというのもまたこれはおかしいのではないかと思った、というのも理由の一つだったりする。<br />
１月２月が虚無的に何事も無くただ過ぎてしまったことを惜しむ気持ちもあった。日々は少ないながらも必ず何かが起きて進行している、というのが高校時代からの持論で、つまり毎日必ず何かしらの出来事が起きている、エピソードが、体験が起きている。それらをボロボロ取りこぼしてしまうのが何かとても酷いことであるような気がして、そのために少しでも保存したい気持ちがあったのは否定できない。<br />
<br />
<br />
ブログでは駄目なのか。駄目です。<br />
理由は３つあって、１つは先の通りアナログな手段で通したかったということ。パソコンから距離を置きたいのにパソコンで文章を書けはしない。<br />
もう１つは他人の目に触れるということ。これがなかなか自分の中で大きかったらしく、というのも、自分が書く文章はどこかで読者としての他者を想定していたというか、何かカッコつけた感じというか、良い子ぶっているわけである。これまで何度かアナログに日記を書いては頓挫して、を繰り返してきたが、そのいずれも、何かええかっこしいだったというか、本音を書き切れていなかったというか。<br />
自分自身を正確に記述するためにはやはり偽りや配慮を剥ぎ取った素体の言葉遣いをすべきだと思うし、そういう記述とは他人の目に晒すに値するようなものには程遠い。<br />
そして３つ目は、これは実際に書き始めて気付いたことなのだが、書いている最中に出来上がる自己というものが確かに存在する。モヤモヤして輪郭の曖昧な自分自身の背後にいる何者かを、さしあたり言葉という形式の中に追いやることができる気がする。そしてそれを、書きながら自分の目で追っていくことになる。だからなるべく文章は考えずに書くようにしている。ペンの赴くままに。ほとんど無意識的に。時として文法や意味合いが破綻することもある。人様に晒すようなものではないというのはそういう意味でもある。<br />
こんな話が円城塔の短編にあった気がする。「考速」だったか。<br />
<br />
<br />
ブログは他人のために見せるものであり、また自分の述べたい言葉がすでにある程度固まっている時にそれをそこそこのフォーマットで保存するために使うべきツールである。<br />
その意味で本来の日記という言葉の意味とは役割があまりにかけ離れて違うように思える。<br />
<br />
<br />
日記を付け始めた理由は他にも、ボールペンでの筆記に慣れるためとか、１日の区切りを明確にするためとか、色々ある。どこまでが理由でどこからがやってみて気付いた恩恵なのかは判然としない。<br />
最近本当にあまりにも文章を書かなさすぎたのは自覚のあるところなので、それを多少なり改善する意味合いはあった。<br />
毎夜寝る前に日記を書いた後は、何か妙に頭がじーんとしている。これは果たして、記憶をたどる想起のために起こる疲れなのか、それとも文章に変換する出力作業のために起こるものなのか。<br />
<br />
<br />
一方でブログという形式にも再び触っていきたい意欲が少しずつ生じている気がする。<br />
多分に就職活動やらの文句・批判・愚痴ばかりになることは想像に難くないわけですが。<br />
Twitterにばら撒くよりかは多少なり迷惑度が低いと思われるというのはある。あれはどうしても少し憚られる。<br />
ブログという、一歩距離を置いた場所で、自分のスペースで、勝手に好き放題書いていればよいわけである。<br />
それとも、本当に好き放題書くためにオフラインでも筆記の場所を作ったと言えなくもないのだろうか。<br />
<br />
<br />
ネタはあっても話し相手がいないので、ブログというツールはぼっちにとって有用なのかもしれないと再認識させられる。<br />
実際書くかどうかは未定。</p>]]> 
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            <name>赤鯖</name>
        </author>
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    <id>hit73humor.indiesj.com://entry/279</id>
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    <published>2014-09-13T02:49:50+09:00</published> 
    <updated>2014-09-13T02:49:50+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>アスファルトに見とれたら　迷子になるあたしでいいの</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[無知と無垢は違う。<br />
ちょっとかわいいくらいが許されるお年頃というのはとっくに終わっていたりするのだけど。<br />
<br />
<br />
<br />
得手不得手があるのは仕方が無い、向き不向きがあるのだから仕方が無い。<br />
一方である程度のディスアドバンテージならば意識で努力で改善しろよという話であったりする。<br />
理屈でどうにかなるのならばせめて理性で制御してみせろよと。それができないのが向上心が無いということで、それができないうちは馬鹿なのだから、つまり、よく言うところの、向上心が無い奴は馬鹿だということ。<br />
<br />
<br />
<br />
献身と、自己犠牲と、こんなにかわいそうなアタシを擁護してよねえ、というのは全部それぞれ性格が違っていて、でも混同している人をよく見かけるもので、そしてこれらが見分けられない人もまた同じくらいたくさんいるような気がする。<br />
自虐癖とは１０年来の付き合いだけど、さて自分の場合、何をやっているのか。有り体に言うなら客観視というか。自己観察の末の私情を挟まない評価の結果というか。<br />
<br />
<br />
<br />
「自分に厳しく」の意味をどこか履き違えている。<br />
気付いていたとしても今更なかなか治るまい。<br />
「他人に優しく」も「他人にとって易しく」という意味合いになりつつあったりする。<br />
私はチョロいよ。<br />
<br />
<br />
<br />
大概無能で、前期もこの夏も色々な人に迷惑を及ぼしましたが、さすがに今後はもうちょっと頑張りましょうよと。<br />
お前は何をのうのうと生きていやがると、言われないために、言わせないために。]]> 
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    <author>
            <name>赤鯖</name>
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    <published>2014-09-02T03:35:23+09:00</published> 
    <updated>2014-09-02T03:35:23+09:00</updated> 
    <category term="日常" label="日常" />
    <title>見えない夜に色を付ける</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[夏休みの思い出シリーズ。<br />
<br />
<br />
私の実家があるのは小さな町で、政令指定都市の都会が途切れてこれから田舎に切り替わりますという境界に位置するようなベッドタウン的エリアである。<br />
というかド田舎である。<br />
地平線は概ね３６０度全て山か森だし、小学校の前には木々に覆われて日中でも薄暗くアホみたいに長く曲がりくねった坂があるし、リスが出ればタヌキも出る、お地蔵さんの隣に野菜が置いてあって無人で売っていたりするような。<br />
<br />
<br />
バスや自転車を使えば容易に街中まで行くことができる立地であるとはいえ、できる限りのことは生活圏内で済ませてしまいたいものだった。<br />
私の街にはもともと３軒の本屋があったが、２つは私が中学生のころに閉店してしまった。<br />
旧街道沿い、母校の中学のすぐ隣にあるツタヤだけが残っていた。<br />
<br />
<br />
そのツタヤが閉店したことを今夏の帰省で知った。<br />
<br />
<br />
原因と呼べるほどの立派なロジックが働いていたのかどうかはわからない。不況の煽りだの出版界全体の慢性的な業績不振だのＣＤが買われなくなっただのいくらでもさんざん言われている。<br />
実際それで書店が潰れていくのを何度か目の当たりにしてきた。地元の田舎だけでなく、東京であってすら、小さな本屋さんが１００均に塗り替えられていく光景を見た。立ち行かない店は持続不可能であるなんて当然のことでしかない。本屋に限った話ですらない。私が東京の一角に住み着いてこの５年で３軒ほど商店街のシャッターが下りた。<br />
<br />
<br />
それでもやはり意外だったし、遣る瀬無いような、寂しいような、何とも言えない気分にさせられた。<br />
店舗としてはなかなか大きかったのである。まして天下のツタヤである。地域住民がどこかに足を伸ばすことなく雑誌や小説を買うとしたら他に場所は無い。<br />
小学校５年生で転校して、以来高校を卒業するまで、何度も通った場所である。どこか戦友を亡くしたような心地がした。<br />
<br />
<br />
「町の本屋さん」では、もはややって行けないのだろうか。<br />
例えば２０１１年に集英社がワンピース６０巻を一斉重版した際に、それほどの量を店頭に並べなくてはならないことが大きな圧迫となって小さな書店がいくつも潰れたという話を聞いたことがある。<br />
流通だ経済だ、マーケティングだ何だかんだとあれこれ挙げたところで、小さな町の書店に何がフィードバックされてくるかなどと、どこまで問題視されることか。<br />
<br />
<br />
この夏、全国の小中学生を対象に学力調査のようなものが行われたと、家族旅行の帰り道で聞いたラジオのニュースで報道していた。<br />
いわく、我らが静岡県は国語分野に関して全国平均を下回っていたのだと。<br />
「当たり前だ、本を読まないんだから」<br />
と、運転しながら父が言っていた。高卒で技術屋の職に就く同期も多いような地域である。全体的に理系の気があるが、それはもっぱらロジックと無縁に振るわれる。<br />
「だから本屋も潰れるんだ」<br />
という推察はあながち間違っていないと思った。<br />
<br />
<br />
小中高とさほどの小遣いももらわなかった私にとっては、１冊の本もその都度大きな買い物だった。大したものは買っていないにしてもいちいちよく覚えている。あの店で買ったのはほとんどライトノベルか漫画の単行本で、時雨沢恵一やハセガワケイスケにハマった時は読み終わるごとに買いに行った。ガンガンにハマった時は土塚系作品を揃えたし、母の誕生日や妹の誕生日に可愛い本を買ったこともあった。初めてロッキンオンジャパンを読んだときは自分はこれをこそ望んでいたのだと思ったし、弟が両親に内緒で買って２人で遊んでいたゲームの攻略本をこれまたこっそりと買ってきたこともあった。ブレイドやガンガンが立ち読みできる稀有なスポットだった。カードゲームもＣＤも買った。一番の掘り出し物はメレンゲの「カメレオン」のシングルだった。中学の友達がその店でデュエマのパックを万引きしただのどうだのと騒がれていたこともあった。<br />
あの店で買ったBee Noteにはまだ１文字も書いていない。<br />
よく覚えている。<br />
<br />
<br />
自分はさほどの読書家でもないので年に数度しか本屋でモノを買うことがない。よってこういった件に対して何事も言う権利は無いのかもしれない。<br />
私はあの店を一生懸命維持したかったというわけではないのだろうと思う。<br />
ただ寂しいのである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
この記事タイトル、「色をつける」の変換に少し迷いました。<br />
普通に考えれば「色を付ける」だし実際こちらが正しいようなのですが、「着色」という言葉から「色を着ける」ともとれる。<br />
色を、事物のもっとも表面を覆っているテクスチャのようなものとして捉えるならば、あたかも「着」ているようであるということができるのかもしれない。<br />
<br />
と、こんなことを考えるような人もどんどんいなくなっていくのだろうか。]]> 
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            <name>赤鯖</name>
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